大井川通信

大井川あたりの事ども

『悲しみよ こんにちは』 フランソワーズ・サガン 1954

この有名な小説を、読書会のために初めて読む。予想外に面白かった。

まず、文章がとても正確で、気持ちがいい。たとえば、シリルとの密会のあと、家にもどったセシルが、アンヌの前で気まずくタバコを吸おうとする瞬間の仕草が、コマ撮り写真のように描かれていて、不意に展開がスローモーションになったみたいだ。

レイモンの仕組まれた浮気に遭遇したアンヌが泣きながら走ってくる緊迫した場面で、セシルがそれをおばさんみたいに変な走りと突き放して見てしまうところがある。こんな絶妙にリアルな設定を、どうやって思いつくことができたのだろう。文章がうまいというだけでなく、そもそも事物をとらえる目の解像度(分解能)が抜群なのだ。

そして、ストーリーの構成も巧みだ。登場人物たちは、放蕩/厳粛、若さ/成熟、男/女という三本の軸の周囲に、違った個性として配されており、その配置によって物語は自然に動き出す。軽やかでもあるストーリーの広がりを回収して、その凝縮された重みを末尾の「悲しみ」の一語で受けきる、という手並みの鮮やかさ。

フランソワーズ・サガン(1935-2004)の18歳の時の作品だそうだが、人間は、18歳になればたいていのことを理解し習得してしまう、ということなのだろうか。

新潮文庫巻末の訳者解説と小池真理子のエッセイもとてもよかった。時代に迎えられ読者に恵まれた作家なのだろう。エッセイの一部を引用する。


「あの時代、『革命』という美名のもと、生まじめに逸脱していった若者たちが、男女を問わず、どこかでサガンを読んでいたのだ、と思うと、今もしみじみと胸に迫ってくるものがある。・・そして、サガンの洗練された文体で描かれる男女間の心もようや都会的な倦怠に接し、男女の有り様がこれから、何か新しいもの、別なものに向っていく予感ー洒落ていながらも、どこかいっそう深く虚無的なものに向っていくのだろう、と思わせる文学的予感ーを覚え、感動に身を震わせていたのである」