大井川通信

大井川あたりの事ども

介護と演劇

もう一か月以上前になるが、介護をテーマにした演劇ワークショップに参加した。正式名称は「老いと介護 演劇の力」で、講師は俳優にして介護福祉士の菅原直樹さんだった。座学が一時間で、そのあと三時間のワークショップがあった。参加者は20名ほどで、そのなかに、地元の田中好さんがいたのはうれしい偶然だった。

演劇ワークショップに参加するのは久しぶりだが、やはり得るところが多かった。グループに分かれて、最後に簡単な寸劇を作って見せ合うのだが、この台本を完成させる段取りが秀逸だったので、その部分をメモしておこう。

参加者には二枚の紙が渡される。一枚は、簡単な芝居の台本だ。場面は特別養護老人ホームの一室。車椅子にのった認知症の老人を介護職員が昼食に誘導する場面だ。

老人はここを老人ホームと認識しておらず、食事などしたくないという。そこへ身内らしき人が現れるのだが、老人は明らかに別の人物と勘違いしている。身内らしき人は上手に話を合わせた上で、老人をうまく昼食にさそう。台本には、ところどころ空白があって、老人が場所や人物についてどんな勘違いをしているかは、わからない。

参加者に渡されるもう一枚の紙は、「人生のアンケート」というもの。「これまでの人生で一番自分らしくて楽しかったときはいつか?」「その時誰と何をしていたか、思い出のエピソードは何か?」「人生の最期まで続けたい趣味・仕事は何か?」といった質問を参加者全員に書かせる。この時点で、二枚のペーパーの関連はまったくの謎だ。

ところが、ここで講師から、アンケートの質問の回答を台本の所定の空欄にあてはめると、寸劇の台本ができあがることが種明かしされる。そしてグループごとに話し合いでメンバーの誰の台本を上演するか、配役を誰にするかを決め、寸劇の練習をする。

つまり、こういうことだ。認知症の老人は、やみくもにでたらめなことを言っているのではなくて、自分が一番自分らしかった時代にタイムスリップして、そのときやっていたことをやろうとし、その時仲の良かった人と話しているつもりになっているのだ。

たんにそれを理屈の上で知るだけではなく、実際に自分の経験に基づいて台本をつくり、認知症の老人を演じてみることで、立場の交換可能性を実感し、コミュニケーションの可能性を開くところがこのワークショップのミソだろう。自分の心の中を掘り出してみれば、なるほど年をとったらこんな勘違いをするかもしれない、としみじみ思えるのだ。

講師の菅原さんは、認知症の老人の勘違いを否定し、現実に引きずり込もうとするよりも、彼らの「内的世界」を尊重しつつ現実と折り合いをつける道をさぐることが大切だという。そのためには介護する側が、「役者」になる必要があるのだと。

なるほど、演劇は、舞台上に異質の時間や空間を自在に成立させる試みだ。認知症老人たちの無意識の操作を、いわば自覚的なメソッドとして駆使するのが演劇なのだ。菅原さんがいう演劇と介護現場との相性の良さは、そんな共通点によるものだと思う。