大井川通信

大井川あたりの事ども

『イカの哲学』 中沢新一・波多野一郎 2008

気になって、時たま手にとってしまう本。中沢新一が、在野の哲学者の波多野一郎(1922-1969)が書いた小冊子「イカの哲学」(1965)にほれ込んで、その本文と、分量では何倍にもなる解説をのせて出版した本だ。

中沢が憲法9条について問題提起をしていた時期で、解説では「イカの哲学」から取り出した論理で、憲法9条の思想的な背景までも読み解こうとしている。「生命=知性」の連続と非連続の論理を使った中沢節の調子はたかく、華麗にして魅力的ではあるが、作品「イカの哲学」の素朴でぶっきらぼうな味わいとは、ややかみ合わないような気がする。

今回読み直してみて、この本の面白さは、何より波多野一郎という特異な人物を紹介したところにあると思えた。

波多野は、京都府綾部にある製糸業グンゼ創業家に生まれた。早稲田大学在学中に学徒動員で航空隊に入隊し、南満州で特攻隊の出撃命令を受けるものの、敗戦により4年間のシベリヤ抑留で極寒の炭鉱での強制労働を体験する。

この極限状況の中で、共産主義化の教育を受けながら、それに納得せずに波多野は驚くべきことを考える。なるほどシベリヤの工業化などの共産主義の力量は認める。しかし、アメリカを見てみないことには、共産主義の優位は判断できない。もし日本に戻れたら、ぜひアメリカの現状を見てみたいものだ、と。

運よく日本に帰国した波多野は、希望どおりアメリカのスタンフォード大学に留学して哲学を学ぶことになる。その夏休みに港で大量のイカを扱うアルバイトに従事した経験から着想を得たのが、「イカの哲学」ということになる。

主人公の日本人留学生は、特攻隊の経験から、死を目前にして生命の本能のようなものを実感する。その経験を振り返りながら、一網打尽にされて死に向うイカたちの「実存」に共感できることに気づき、「世界平和の礎」となる哲学に目覚めたという話だ。

綾部にはグンゼの工場の他、大本教の聖地も存在する。いつか訪ねてみたい。