大井川通信

大井川あたりの事ども

絶対的に不正であること(本川小学校平和資料館)

原爆投下の目標になったといわれるT字形の相生橋を渡ると、すぐのところに本川小学校があった。路地に入ると、敷地の一角に、表面のコンクリートが傷んだ異様な建物が目につく。正門に回って、事務室を許可を得てから、その平和資料館に入った。

当時鉄筋コンクリート3階建の校舎は、外壁のみは原爆にも耐えて、被災者の救護所となり、翌年には窓ガラスもない状態で授業を再開する。その後補修して使用していたが、校舎を建て直す際に、1階の一部を小さな建物として残し、被爆当時の姿を掘り起こすようにして保存したものだ。

その保存の労力も大変だし、敷地内に出入りする見学者の管理も手間だろう。そんなふうに気楽に思いながら、資料のパンフに目を落として、驚いた。ここでは、学童疎開の対象でない低学年の児童と教職員400名が原爆によって命を落としているというのだ。その同じ場所で学び、あるいは教えるということは、いったいどんな経験だろう。

川の対岸には、すぐ原爆ドームが見える。その背後にある爆心地まで直線で350メートルしかない。その上空600メートルの爆心点と、この学校の校庭と校舎は、さえぎるものがなく至近距離で向き合っている。そんなところで、核爆弾を爆発させたのだ。

世の中の多くの悪や不正は、もしかしたら様々な見方が可能な相対的なものかもしれない。しかし、これだけは、どのような言い訳もさしはさむことのできない絶対的な不正である。学校から爆心点を見上げて、それがわかった。