大井川通信

大井川あたりの事ども

近ごろ売れている本について

『ケーキの切れない非行少年たち』が売れ続けているらしい。ベストセラーになる前に手に取って、このブログにも感想を書いたけれども、それほど良い本だと思わなかった。

もちろん専門家による大切な知見が得られる本だ。ただ、この本の売りである「ケーキの切れない」の解釈に疑問があった。著者の言うように「認知のゆがみ」で切れないなら、たしかに驚くべきことだ。でも普通に考えれば、家庭でホールケーキを囲んで切るような「経験がない」からできないと解釈すべきではないのか。やったことがないからできない。真理はごく変凡なところにある。

『急に具合が悪くなる』という往復書簡本も、人文書として評価が高く、売れ行きもいいらしい。この本も昨年読書会で取り上げられて感想を書いたが、あまり納得できる本ではなかった。身近な病気や死の問題に当事者が「学問」の力で迫るというテーマをくりかえし掲げながら、読み手を置き去りにして、著者たちの話は別のところへいってしまう。

数年前になるが、よく話題になった『中動態の世界』も、そもそもテーマ設定の導入が納得できずに、このブログにもしつこく批判の記事を書いている。

どれも、自分では、部分的な論点や解釈に対して揚げ足取りをしているつもりはない。まっさらな気持ちで書物に向う読者に対して、その入り口でとまどわせたり、迷わせたりすることに対して、本の作り手の側が、あまりに無頓着なような気がしたのだ。商品として、それはずさんというものだろう。

自分が読まないので勝手なイメージだが、よく売れる小説には、こういうことはあまりない気がする。小説の面白さに対して、読み手の要求はシビアだからだ。人文系の読者は、もっと従順で、よくわからなくて煙に巻かれるところを喜ぶところがある。

もしかしたら売れる人文書というものは、もともとこういうものだったのかもしれない。それにいちいち文句をつけるようになったのは、僕が歳を取って、よけいな知恵がつき、不寛容になったためだろうか。