大井川通信

大井川あたりの事ども

『大津絵』 クリストフ・マルケ 角川ソフィア文庫 2016

学術書や専門書の入った文庫として、昔はよく濃紺の表紙の講談社学術文庫(1976-)を買っていた。いつのまにか、後発で白い表紙のちくま学芸文庫(1992-)を買うことの方が多くなった。それがこの頃は、クリーム色の表紙の角川ソフィア文庫(1999-)を手にする機会が増えたような気がする。

やはり後から出たものの方が、他にはない特色を出そうとするから、目について魅力があるように思えるのだろうか。いずれにしろ、この分野で競争原理が働くのはありがたい。毎月の新刊文庫のチェックは、岩波文庫とこの三種の文庫くらいしかしていないが、面白いものにぶつかることが多い。

大津絵は、江戸時代に東海道の土産物として流行した庶民の絵画だ。職人が量産できるように略画化され、型紙で彩色された。画題は120種類にも及んだが、旅土産のため大切に保存されることもなく、現在では国内外の美術館に数百点が残っているだけだそうだ。

この文庫は、大津絵の研究書だが、一般の読者にとっては、楠瀬日年(1888-1962)による大正時代の版画集をそのままカラーで収録している部分がながめて楽しい。日年は、大津絵が失われるのをおそれ、自分が確かめた大津絵を模写して版画にし、70余りの画題を扱った版画集を出版した。

これは大津絵そのものではないが、今の言葉で言えばヘタウマとでもいうべき大津絵の味わいはよく伝えているのではないかと思う。日年による画題の分類は、「仏」「庶民の神々」「鬼」「英雄」「若衆・奴・芸能民」「美人」「鳥獣」となっており、当時の庶民の関心事がうかがえて興味深い。

僕は、家の近所の古い町並みを歩くことで、石仏や地名や記録などを手がかりにして、体感的に江戸時代までは土地の記憶をさかのぼれると考えている。その際の感度を高めるためのビジュアルの資料として、この大津絵の版画集をパラパラめくっている。