大井川通信

大井川あたりの事ども

四半世紀

自分が20歳を迎えた時のことはよく覚えていない。30歳の時も、40歳の時も、もちろんそれなりに感慨はあったはずだが、特に記憶に残っていない。ただ、25歳になったときに考えたことは、はっきり覚えている。

100年という大きな時間の単位の四分の一を生きたという事実に、特別の手ごたえを感じたのだと思う。25歳を過ぎてから読んだ本に、1から番号を振ったりもした。あらためて何かをやり始めよういう気持ちが起きたのだ。

結局その気持ちは長続きはしなかった。今から振り返れば、自分のやりたいことが定まっていて、それをやりとげようという意欲と、いくらかの手がかりさえあれば、十分やりなおしのきく年齢だったと思う。ただ、僕にそのいずれもが欠けていたということだ。

長男が、昔の僕と同じように3年で最初の仕事をやめて、家に戻って職探しをしている。運悪く新型コロナウイルスの世界的な流行の時期に重なってしまい、この先も相当の経済の落ち込みが予想される時期にあたってしまった。

今日も面接から帰ってきて、リーマンショックを超える不況らしいと、笑っていた。自分がその年齢の時より、はるかに大人だと感心する。僕は将来についてノープランで、親への気遣いなんてできなかった。

時代のせいにするわけにはいかないが、今よりずっと単純な価値観が社会を支配していたことも少しは関係しているだろう。あるコースにのっていれば、ほとんど何も考えなくても行先ははっきりしていたかわりに、コースをはずれると思考停止になり勝ちだったのだ。

今日は、長男の25歳の誕生日。