大井川通信

大井川あたりの事ども

作文的思考と「障害者」の運動

大学時代、岡庭昇を読んで自分なりの作文を書き始めた頃、地元の地域での運動にかかわった。きっかけは、成人式の自主開催を求めるみたいな集まりだったけれども、会場として使った公民館で、「障害」を持った人たちと出会うことになった。

公民館の青年学級で活動する人たち。それから、地域での自立生活運動を始めていた人たち。その時はわからなかったが、彼らは、日本の「当事者運動」の草分けを担った人たちだった。

学生運動の季節は過ぎていて、消費を中心にする豊かな、妙に浮かれた時代を迎えつつあった。しかし同時に、従来の反体制のロジックではとらえられない、様々なきしみや矛盾も明らかになってきていた。

当時大学では、今村先生の講義との出会いがあってニューアカデミズムと呼ばれる新しい思想の洗礼を受けていたが、それらの刺激を受けつつ僕が実際に何かを考えていたのは、身近な地域での活動であり、考えるための武器は作文だった。

具体的に何かを考えるための道具としての作文、という原体験は、あの頃にあったのだとつくづく思う。