大井川通信

大井川あたりの事ども

作文的思考と玉乃井プロジェクト

僕の作文にとって、大きな転機となったのは、玉乃井プロジェクトの経験だった。それまでの僕は、本や思想家について書いたり、運動に対するイデオロギー批判を書いたりするだけで、いわばプロの批評家の真似事をしていることが多かった。

若い間は勢いで書いてはいても、そういうフィールドで勝負しているかぎり、しょせんアマチュアでしかないのは自分でもわかるから、やがて書くことから遠ざかっていったかもしれない。

「玉乃井プロジェクト」は、現代美術の批評やコーディネーターをしていた安部さんが、自分の実家である旧旅館の玉乃井を開放して、その場所と家族の歴史を、半年間の期間を使い共同で作品化しようという試みだった。メンバーは現代美術の作家がほとんどだったが、僕は安部さんの友人として肩書をもたずに参加した。

僕は、そのプロジェクトの展開のなかで、二つのテーマを扱うことになった。初めからそういうテーマがあったわけでなく、安部さんとのやりとりと、自分なりの調査や考察を通じて、その二つに絞りこまれていったのだ。

玉乃井の別館が老朽化して取り壊す予定になったのだが、そこがどうやらかつての炭鉱の保養所で、隣接する玉乃井が買い取ったものらしい。一つは、その経緯を調べてみようというもの。

玉乃井の地元津屋崎にある日本海海戦記念碑は、安部さんの祖父正弘氏が、ライフワークとして建設したものだった。東郷平八郎を心酔する正弘氏の不可解な情熱を探ってみたいというのが、もう一つのテーマになった。

ちょうど安部さんと個人的な勉強会を始めた時期と重なり、僕は毎月のレジュメや、玉乃井プロジェクトの例会での報告、安部さんへのメールなど、たくさんの作文を書いた。何より身体を動かした。法務局で登記を調べたり、大学図書館や歴史資料館で調査したり、様々な場所で多くの人から聞き取りをした。

二つとも雲をつかむような話にも思えたのだが、最後にはなんとか焦点を定めて報告することができた。そしてこの経験を通じて、それまでとはちがう作文のスタイルを手に入れることになったのだと思う。