大井川通信

大井川あたりの事ども

映画『ゼロの焦点』 野村芳太郎監督 1961年

原作は松本清張の1959年の作品。あまりにも有名ながら、未読。

制作年が、僕の誕生年だったのがきっかけで、ネットのビデオで観る。自分が生まれた頃の世界がどんなものであったのか、時々確認したくなる。自分の記憶や知識でばくぜんとしたイメージはもっているが、長く生きているうちにそれも変形、劣化してしまうだろう。

僕はいつのまにか家のビデオですらほとんど映画を観なくなっているが、やはり映像の情報量はすごい。本なら読むのに何日もかかるところ、2時間弱で終わるのもありがたい。これからは映画も活用しようと思う。

何といっても交通・通信手段に隔世の感がある。今では、片道二時間半の東京と北陸の間が、夜行電車で一晩かけないと行けない。一般家庭には電話が少なく、大家さんや管理人からの「呼び出し」が当たり前で、急ぎの連絡は電報だった。

作品の背景には、この「距離」と「隔絶」が、一人の人間の両方の土地での二重生活を可能にしたことがある。また、事件の動機は、戦争とその後の混乱が、一人一人の経歴を大きく揺さぶり、ダメージを与えたことに関連している。

戦場や戦災の現場でとんでもないことを見聞きし経験した人が多かったろう。敗戦後を生き延びるためにやむを得ず強いられたことも少なくなかったろう。僕が子どもの頃の大人たちは、どこかそうした「空白」や「闇」をかかえていた。大人とは、そういうものだと思っていた。話好きだった僕の両親も、過去の経歴をすべて教えてくれたわけではなかった。

新婚の主人公の姿を消した会社員の夫は、戦後米軍基地のあった立川でパンパン(米兵相手の私娼)を取り締まる警官をしていたのだが、その経歴を妻は知らない。北陸勤務の彼は、そこで元パンパンの女性と出会ったために、入り組んだ人間関係にはまり込んでいたのだ。

主人公も含めて、女性たちの立ち居振る舞いから、今よりもさらに男性優位の社会だったことがうかがえる。にもかかわらず、殺された夫も取引先の社長も、組織頼みの男たちの存在感は薄く、どこか弱々しい。女たちの側にむしろ個としての力強さが感じられる。これは、当時の世相をある程度反映しているにちがいない。