大井川通信

大井川あたりの事ども

黒尊様考(用山信仰論・その4)

★黒尊様と平知(ひらとも)様という近隣の神様の記録と伝承を組み合わせることで、語られていない平知様の成り立ちを推理してみた。二年前のレポート作成時には、世界的なパンデミックが発生して、再び黒尊様にわずかでも注目が集まるとは思いもしなかった。

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【黒尊様と平知様】

それでは、大井川の上流と下流に位置する用山村と大井村が、それぞれ幕末に里山上に祀った石祠の神の関係について、思い切って推理をしてみることにしよう。

伝染病による被害なら、用山で発生したものが隣村の大井に無関係ということはないはずだ。用山の人が藁にもすがる思いで狗留孫山に参拝し、ご神体を受けて被害が収まった、その神様を山上に祀った、という話は大井にもすぐ伝わるだろう。大井は大井で、山上の古墓をかつて暴いたことの祟りではないか、と言い出す村人がいて、そこに新たな祠を建てて祀ることにしたのかもしれない。

なぜ用山村が狗留孫山に頼ったのかはわからないが、神頼みについて日本人は節操があまりない、ということだろう。(用山の中だけでも、氏神の正八幡宮と黒尊様とお地蔵様は村全体で祀り、観音様と阿弥陀様は村の半分がそれぞれ担当するというように、信仰は重層的かつ追加的だ)

ところで、黒尊様がもともと疫病除けの神様であり、平知様が武家の祟りを鎮めるための神様だったという出自の違いが、近代史の中で二つの祠の歩む道筋を決定的に隔てることになった。

平知様は、平家の墓という偽りの伝承が後から付け加わるとともに戦勝祈願の神社に祭りあげられ、そのため戦後には伝承も信仰も途絶えてしまった。一方、黒尊様は、村の守り神として信仰を保ち、平成になってからも村人が願いをこめて社を新築し、案内表示や説明板が設けられた。

わずか一キロばかり離れて二つの祠が鎮座する里山は、今やソーラーパネルの設置で無残にも山肌が削りとられている。村の近代を見下ろしてきた盟友同士、今何を語りあっているのだろうか。