大井川通信

大井川あたりの事ども

『貨幣とは何だろうか』 今村仁司 1994

5月5日は、恩師の今村先生の忌日なので、今年も著書を手に取った。

創刊されたちくま新書の第一号がこの本だった。同じ年に創刊された講談社選書メチエの一冊目も、今村先生の『近代性の構造』だった。当時の先生の論壇や出版界での評価がうかがわれる。

ただし、翌年には阪神淡路大震災オウム事件が起こり、冷戦の終焉とバブルの崩壊によって生じた日本社会の大きな変化が決定的となって、先生の依拠する現代思想マルクス学の影響力が急速に低下していく時期を迎えつつあった。

新書だけれども、読みやすい本ではなく、読み通したのは初めてだと思う。

直接的なコミュニケーションは幻想であり、社会関係には「媒介形式」が必要である。この媒介形式には、死や暴力が封じ込められているため、安易に取り払うことはできない。貨幣とはこの媒介者であり、現代は貨幣が全面化した時代である。一方、西洋の思想史は媒介者を廃棄しようとする闘争の歴史として理解できる。

おおざっぱにいえばこうした単純なテーゼにまとめられる主張を、哲学書や小説の読みを通じて繰り返すというもので、時に先生の本に見受けられるスタイルだ。ていねいな論証があるわけではないので受けつけない人もいるだろうが、物事の本質をつかんでいる、という熱気と確信を感じさせる文体だ。僕は、先生のこの文体に、考えることの勇気とエネルギーをもらってきた。

ただこの本の内容については、今自分が考えていることとかみ合う部分は少なかった。伝統的な日本社会には、様々な「媒介形式」が生活の隅々までいきわたっており、それを廃棄しようとする思想伝統は存在しなかったのではないか。問題は、近年になって、そうした諸媒介の失墜によって、なし崩しに「貨幣」による一元的な媒介が実現してしまったことにあるような気がする。

大井川流域を歩きながら、古びた小さな「媒介者」との対話を繰り返している身としては、先生にそんな異論を立ててみたくなる。