大井川通信

大井川あたりの事ども

夢の街角

夢をめぐる昨日の考察を使えば、夢にでてくる街角についての長年の疑問について、一歩理解をすすめることができるかもしれない。

僕のみる夢の舞台は、故郷の街であることが多い。昨年末に実家を処分して精神的に身軽になった分、もう故郷の夢はみないかと思っていたのだが、ここにきて、毎日のように実家のあった国立の街の夢をみる。

まずは、実家の前の一中通り。これはいくらか本物らしかったが、実家の形状はまるでちがっている。

次に、学園通りが三小通りをすぎて道が細くなったあたりの街路。実際には友人の関君や杉林君の家のあるところ。夢の中では、飲食店の入る雑居ビルが並んでいて、およそそこらしくはない。僕はそこの飲食店でひともんちゃくを起こす。

最後に、大学通りが富士見台に入る手前あたりの道沿いの場所。夢の中では、空き地が広がり、工事関係の事務所があって、そこに仕事で僕が緊張しながら訪問するというもの。実際のそのあたりの街並みとは様子がまるで違う。

後から振り返ると、まるでそこらしくはないのだが、夢の中では直感的にそこだと思っている。およそそこらしくない場所を、そこだと確信すること。そこが実家を中心とする故郷の街並みのどこかであること。その不思議を、昨日考えた夢理論で考えてみよう。

僕は、夢の中で、現実と空想、現在と過去とが入り乱れるイメージの奔流の中に投げ出される。ぼくはそこでの人間関係を、自分や家族、知人など日頃慣れ親しんだ構図で理解しようとする。と同時に、その舞台も、慣れ親しんだ場所として解釈しようとするのだ。

僕は日常の中でたくさんの場所を知っているだろう。しかしそれらは、さまざまな交通手段によって抽象的に結びつけられた場所であり、いわば頭の中で関係づけられた地図にすぎない。

「このあたり」「あのあたり」と間違いのない身体感覚として根付いているのは、故郷の街並みだけなのかもしれない。そこは幼い僕が実家を中心に重ね書きするように歩き回り、少しずつ世界を広げていった原初の場所だからだ。

その意味で、僕にとって世界の中心はいまだ実家にあるのであり、夢の舞台も無意識にそこと関係づけられて直感的に理解されることが多くなるのだろう。

 

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