大井川通信

大井川あたりの事ども

誕生日の思い出

今日は、姉の誕生日だから、お祝いのメールをする。

昨日が母親の命日にあたり、姉にとっては、長年苦楽をともにしてきた母親が、自分の還暦の誕生日の前日に亡くなったのだから、どんな思いがあったのだろうか。姉はその年度いっぱいで会社員人生を全うして、昨年から退職後の生活を満喫している。昨年は海外旅行にも何度か行ったようだが、今年に入ってから、コロナ禍で身動きがとれないから、さぞ気がふさいでいることだろう。

僕の実家は4人家族で、家族それぞれの誕生日が、うまく四季に振り分けられていた。父親が3月、姉が6月、母親が9月、僕が12月。つましい生活をしている家族には、誕生日のお祝いがちょうど3か月起きのささやかなイベントととして、ちょうどよかったと思う。

今の家族は、妻が11月、僕が12月、二人の子どもが2月と3月で、ずいぶん寒い時期に偏っている。あたらしい家族の猫の九太郎までが、2月生まれだ。子どもが小さいうちは律義にお祝いをしていたが、最近では近いものどうしを兼ねてやったりしている。

今から振り返ると、僕が生まれ育ったのは、日本が高度成長から安定成長へと進む、まだ貧しさは残っていても活気のある時代の家族だった。僕の新しい家族は、オウム事件阪神大震災のさなかに誕生して、東日本大震災原発事故からコロナ禍にいたる、豊さはあってもどこか凋落の匂いのする時代の渦中にある。

くっきりとした時代の違いを受けて、2つの家族のありようはすっかり変わっているが、誕生日を祝うという習慣が変わらずにあるのはうれしい。