大井川通信

大井川あたりの事ども

同期会というもの

僕が、大学を出て最初に就職した会社にも、同期会というものがあった。4か月にわたる研修期間中、共同生活をしたり、販売実習で班別の競争をしたりで、同期の30数名のきずなは深まった。

おそらく研修担当の職員たちの示唆があったのだろうが、自主運営の同期会が結成されて、全員が全国の配属先に散り散りになったあとも、東京で同期会が開催された。僕も一度だけ参加した記憶がある。

遠方の参加者は交通費がかさむ。それらは、ホテルの宿泊代を含む一律の参加費として全員が平準して負担していた。お互いに会いたい気持ちが強かったし、転勤の機会は誰にもあるのでお互い様の所もあったろう。

僕が3年で仕事を辞めたときも、近県の同期が何人か心配してわざわざ話を聞きに来てくれた。当時は自分の行く末のことで感謝する余裕がなかったが、今考えれば申し訳なく、ありがたいことだった。

その後、東京に戻って塾教師をしていたころ、近所の大学の講義を聞きに行った際に、たまたま就職関係資料を見ていたら、僕が辞めた会社のパンフレットが置いてあった。そこには、僕の代の同期会が大きく紹介されていて、その会は同期の人数に因んで、たとえば「33会」といった名前だった。その人数の中に、僕が入っていたのか、いなかったのか。

それから10年も経たないうちに、その会社は本体を外資に吸収されたうえ、倒産してしまうことになるのだが。