大井川通信

大井川あたりの事ども

軍人将棋の話

将棋盤と駒をひさしぶりに取り出してみたら、同じ場所に軍人将棋の駒がしまってあった。厚紙の箱のフタには、昔風のロケットや戦車の絵が描かれていて、うらをかえすと手書きで70円とある。

昔は小学校の校門の近くに小さな文具店があって、この軍人将棋はそのショーケースでみつけて買った記憶がある。友達とよく遊んだのはやはり小学生のころだったと思うが、これを手に入れたのは少し後になってからだから、きれいに保存してあるのだ。

蜜柑色と黄色に塗り分けられた木製の駒はいかにも安っぽく不揃いだ。駒には、軍人の階級のほか、地雷やタンクやヒコーキなどがある。このゲームのおかげで、大尉より大佐が偉く、大佐より大将が偉いことを自然に覚えたと思う。

紙の盤上では、自陣と敵陣とが突入口によって向き合っている。相手からそれぞれ見えないように駒を立てて並べる。突入口から敵陣へと突入し、ぶつかった駒同士では強い方が生き残る。正式には駒同士の勝負の判定のために第三者の審判がいることになっているが、僕たちはお互いで確認するという簡単なルールで遊んでいた。敵陣の総司令部に駒をすすめた方が勝ちとなる。

このゲームは、日清戦争の頃に生まれたものらしい。すると敗戦までの半世紀にわたって軍人や軍隊にあこがれる少年たちの遊び道具になっていたことになる。敗戦によって軍国主義は一掃されてあらたに平和が価値とされる時代になった。しかし、イデオロギーの激変を潜り抜けて、遊び道具の記憶は、親世代から子供世代に受け継がれたのだろう。ぼくらの子どもの頃は、軍人将棋はごく普通の遊び道具であり、平和主義の親たちからにらまれることもなかった。

当時は、ゼロ戦や隼のパイロットが主人公のマンガもあって、第二次世界大戦中の戦闘機や軍艦のプラモデルの人気も高かった。それはおそらく、僕たち子どもが求めたものというよりは、作り手の側の戦中派のノスタルジーによって生み出されたブームだったような気がする。