つういと燕がとんだので、/つられてみたよ、夕空を。
そしてお空にみつけたよ、/くちべにほどの、夕やけを。
そしてそれから思ったよ、/町へつばめが来たことを。
(「つばめ」)
金子みすゞ(1903-1930)の眼はまずは正確に物事をとらえ、手はそれを正しい順番で言葉にする。「つばめ」では、まず視界の上の隅を、糸を引くような飛影がかすめる。直線なら「つう」だろうし、一直線なら「つうーっと」だろう。「つうい」こそ、鋭く曲線を描き自在に向きを変える燕の飛行にふさわしい。それにつられて、視線をあげて、空の先の夕焼けを発見する。そこから再び、思いは夕日に照らされた自分の住む町に戻ってきて、あらためて今年初めての燕の来訪の事実に気づくのだ。
私は不思議でたまらない、/黒い雲からふる雨が、/銀にひかっていることが。
私は不思議でたまらない、/青い桑の葉食べている、/蚕が白くなることが。
私は不思議でたまらない、/だれもいじらぬ夕顔が、/ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない、/誰に聞いても笑ってて、/あたりまえだ、ということが。
(「不思議」)
正確なまなざしは、モノに感じやすく、驚きと喜びに満ちた精神を伴っている。しかし、「不思議」に描かれたように、この驚きを多くの人たちは共有してくれない。それへの不満が、彼女の書くことへの動機の一部になっているだろう。
上の雪/さむかろな。/つめたい月がさしていて。
下の雪/重かろな。/何百人ものせていて。
中の雪/さみしかろな。/空も地面もみえないで。
(「積もった雪」)
他者の存在に触れて、そこに驚異をみた彼女は、それを他者の物語として語りなおす術を身につける。その物語は、みすゞの視線が鋭く、不思議を感じる心が深いのに応じて、ありきたりの擬人化を超える比喩の具体性と豊かさを持つ。