大井川通信

大井川あたりの事ども

『金子みすゞ名詩集』 彩図社文芸部編纂 2011

 

つういと燕がとんだので、/つられてみたよ、夕空を。

そしてお空にみつけたよ、/くちべにほどの、夕やけを。

そしてそれから思ったよ、/町へつばめが来たことを。

(「つばめ」)

 

金子みすゞ(1903-1930)の眼はまずは正確に物事をとらえ、手はそれを正しい順番で言葉にする。「つばめ」では、まず視界の上の隅を、糸を引くような飛影がかすめる。直線なら「つう」だろうし、一直線なら「つうーっと」だろう。「つうい」こそ、鋭く曲線を描き自在に向きを変える燕の飛行にふさわしい。それにつられて、視線をあげて、空の先の夕焼けを発見する。そこから再び、思いは夕日に照らされた自分の住む町に戻ってきて、あらためて今年初めての燕の来訪の事実に気づくのだ。

 

私は不思議でたまらない、/黒い雲からふる雨が、/銀にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、/青い桑の葉食べている、/蚕が白くなることが。

私は不思議でたまらない、/だれもいじらぬ夕顔が、/ひとりでぱらりと開くのが。

私は不思議でたまらない、/誰に聞いても笑ってて、/あたりまえだ、ということが。

(「不思議」)

 

正確なまなざしは、モノに感じやすく、驚きと喜びに満ちた精神を伴っている。しかし、「不思議」に描かれたように、この驚きを多くの人たちは共有してくれない。それへの不満が、彼女の書くことへの動機の一部になっているだろう。

 

上の雪/さむかろな。/つめたい月がさしていて。

下の雪/重かろな。/何百人ものせていて。

中の雪/さみしかろな。/空も地面もみえないで。

(「積もった雪」)

 

他者の存在に触れて、そこに驚異をみた彼女は、それを他者の物語として語りなおす術を身につける。その物語は、みすゞの視線が鋭く、不思議を感じる心が深いのに応じて、ありきたりの擬人化を超える比喩の具体性と豊かさを持つ。