大井川通信

大井川あたりの事ども

大井川歩きと「流域思考」

岸由二さんの唱える「流域思考」は、大井川歩きで僕が漠然と意識したり、気づいたりしていたことに明確な言葉と知識と思想を与えるものになっている。

僕ははじめ、自分が寝起きし暮らす自宅を中心にして世界を見ていこうと、そこから歩ける範囲を自分のフィールドにすることを考えた。歩き始めると、そこには小さな川の流れやため池があり、かつての暮らしが水の流れを軸にして営まれていたことに自然と気づくようになった。

それで自分のフィールドワークを「大井川歩き」と名付けたのだが、水への注目は、僕がもともとゲンゴロウなどの水生昆虫が好きだったことにも由来している。住宅街をでて旧集落を歩くようになったきっかけが、ゲンゴロウ探しだったからだ。

ゲンゴロウたちと付き合うようになって、彼らがいかに人間の河川利用に翻弄され、それによって絶滅の危機に瀕しているかを知るようになった。また、鳥見に夢中になると、海岸から河川の上流のダムまでを往復して魚を探すミサゴというタカの暮らしから、漠然と水系のつながりの大切さを知るようにもなった。

一時流行した「里山」という孤立した要素の保全ではなく、「流域」という面のつながりを大切にしなければいけない、という岸さんの指摘に目を開かされる。なるほどゲンゴロウという小さな虫ですら、里山のため池と集落の田んぼとを行き来して生活しているのだ。

今回初めて、『「流域地図」の作り方』を通読して、その真価を知った。読み切れない本もとにかく買って手元に積んでおくという積読思考のおかげだともいえるけれど、大井川歩きと直結するこんなに大切な本が後回しになってしまったのは、実際に本を消化吸収する能力が低いからだ。なんらかの改善が必要と本気で思う。