大井川通信

大井川あたりの事ども

『美しい女』 椎名麟三 1955

三年前にブログを始めた時に、これを機会に苦手の小説にとりくもうと思って、まず手に取ったのが、古本屋で200円で買った椎名麟三(1911-1973)のアンソロジーだった。ハンデサイズの文学全集の一冊で、50年前の本だったけれど、ページを開いた形跡がなく、本に初めて命を吹き込むようで、なにか感動したのを覚えている。

何作か読んだが、どれも良かった。戦争前後のきわめて具体的で重たい事象が描かれつつ、そこに抽象的で高度な思弁が刻まれている。あのあと、読書会に通うようになり、(自分としては)たくさんの小説に目を通したが、椎名麟三の独特の魅力は忘れがたかった。

そこで久しぶりにアンソロジーを読み継いで、一番ボリュームのある『美しい女』を読んでみた。面白く、読み応えがあり、さらに良かった。

関西の小さな私鉄に勤める若い運転手の戦前、戦中の体験を、戦後になって回想するという体裁をとっている。3人の女性が描かれるが、主人公の胸に秘められた「美しい女」のイメージと、男女の関係の実態は激しくすれ違う。しかし、彼はそれを良しとする。主人公は、自分の手元にある日常を引き受けることに生きがいを見出しているからだ。何より電車が好きで、鉄道の仕事をすることを愛している。

しかし時代は、絶対主義のイデオロギーが蔓延し、死や極端へ傾斜することが賞賛されるようになる。職場でも家庭でも、頑固に平凡を貫く主人公は、「けったいなやつ」とさげすまされる。そんな不遇に見える職場や家庭での生活を、ひそかに支えたのが彼の「美しい女」へのあこがれだった。

これは、後に吉本隆明が「大衆の原像」として賞揚した理念が、現実の中でどのように傷つき、何によって支えられるのか、を描いていると解釈できるかもしれない。「共同幻想」は絶対的なものとして、職場にも家庭にも食い込んでくる。主人公に出世や天皇信仰や心中を迫る女たちの姿は、吉本のいう「対幻想」が実際には防波堤にならないことを証し立てている。

主人公も述懐しているように、日常の平凡の中に、「無気力」と「不徹底」の中に、純粋に仕事の喜びの中に立てこもって、そこを守り抜くことは簡単ではない。彼の場合は、絶対や極端を嫌う気まぐれな「美しい女」の笑い声に導かれる必要があったのだ。