大井川通信

大井川あたりの事ども

夜中、目がさめて

夜中目がさめて眠れなくなる、なんてことはめったにない。気が小さいわりには、変に図太く、無神経な人間なのだ。

けれど、珍しく今がそういう状態だ。ふと食べ物のことが頭に浮かんだら、連想がつながって昔のくらしことを思い出す。昔の日々には愛着はあるけれども、我ながらぶざまで誇れるようなものは、何もない。

人にもずいぶんと迷惑をかけた。後悔していないわけではないけれども、真剣に後悔するほどのモラルや軸が、自分の中にはない。ぶざまで、人に迷惑のかけ通しだった日々も(そして現在も)、それはそれで仕方なかったし、水に流してもらうしかないのではないか、という一種の甘えみたいなものが、気持ちの底流にある。だからこそ、ぶざま日々を(そして現在を)多少の愛着をもって受け取ることができるのだろう。

もっとうまくはできなかったのか? ふとこんな疑問もわくけれども、まったくそんな気はしない。自分なら、なんど繰り返しても、同じような低迷と停滞と愚鈍を繰り返すだろう。別に悲観しているわけではなく、純粋にそういう体感がある。

だから、人生は、過去の自分は、一度だけで充分だと思う。現在の自分も、この一回だけで充分満足だ。たいしたことはできなかったけれど、たいしたことではない過去と現在とに思いをいたして、どこのだれかともわからぬ何かに感謝の気持ちをささげたいと思う。

夜中目がさめて、そういうことを考える。