大井川通信

大井川あたりの事ども

心的現象としての夢

近ごろ、NHKの教養番組で取り上げられたためか、吉本隆明(1924-2012)に一般の注目がいくらか集まっているようだ。角川文庫版「主要三部作」が増刷されて、書店で平積みになって売られている。

吉本を語りたい層が、かろうじてまだ健在なんだろう。僕は若い世代に吉本をすすめる気はないが、それなりに読者としてのつきあいは長いので、吉本に関するネタのストックがある。さもしい話だが、吉本が話題になれば、そのネタを使えるという社交上のメリットはあるのだ。

「主要三部作」のうち『心的現象論序説』を持っていなかったので、書店でぱらぱらとめくると、夢に関する章が目にとまった。前回に書いたように夢の考察は僕の大切な課題だし、吉本流の「斜め上」の理論も、思いがけないヒントになるかもしれない。

そう思って、全300頁のうち約50頁にわたる「心的現象としての夢」の章に目を通してみた。全体の6分の1に当たるかなりのボリュームだ。今になって吉本の主著を読むことになるとは、人生何が起きるかわからないとちょっと感動する。

ところが、吉本はやはり吉本だった。具体的に夢を理解する上で手がかりになるようなものはまるでなかった。フロイトやフロムの著作や自らの夢体験をダシにして、それを自分なりの心的現象に対する理解の枠組み(概念装置)に強引に落とし込んでいくばかりなのだ。その気合は伝わるし、本人にはきっと十分な理論的快感があるのだろう。

しかし、はかなくも不思議な夢という繊細な現象に目をこらして、そのありのままを理解したいという立場からすると、手がかりとなる言葉も分析もまるで見当たらない。

とはいえ、乗りかかった船だから、『心的現象論』全体に目を通してみようと思った矢先、飲みかけのお茶がカバンの中で漏れたために、この本を含む何冊かの本を台無しにしてしまった。やはり縁はなかったか。