大井川通信

大井川あたりの事ども

『夢があふれる社会に希望はあるか』 児美川孝一郎 2016

著者は、今の世の中が「夢を強迫する社会」となっていること、学校におけるキャリア教育がこの風潮を作っていることを指摘する。この指摘は、はじめ僕には違和感があった。これが本当なら、僕の知らないところで、いつのまにか世間がそうなってしまったことになる。

著者は、次の三つの段階を経て、現状が作られたと見立てる。

①1980年代、とりわけバブルの時代の「社会的風潮」     豊かな社会が到来し消費が中心になると「個性」がもてはやされるようになる。1984年に臨教審が「個性重視の原則」を打ち出す。

➁1990年代以降の「失われた20年」に期待された人間像     バブル崩壊によって経済が失速し、新自由主義(競争原理と自己責任)の時代となる。若者たちの就職難や非正規雇用の拡大と上昇志向の衰えは、この社会の変化によるものだったにも関わらず、政治家や起業家たちは、若者自身の意欲や能力に原因を求める「若者バッシング」を始める。 

③2000年代半ば以降の「キャリア教育」     この政財界の意向を受けて、2004年度から全国の学校で、フリーター・ニートの予防を念頭においたキャリア教育が始まる。

僕は、こうした一連の動きが始まる前の1980年代前半に学校教育を終えて、社会人になっている。どうりで著者の言う「夢を強迫する社会」を実感できないはずだ。

学校と社会との間に大きな断絶があり、そのギャップに悩んだ世代だから、近ごろのキャリア教育というものを、むしろうらやましいくらいに思ってながめていた。その背景にこのようなカラクリがあるとはうかつにも気づかなかった。

著者は、この社会を前提にしたうえで、若者たちに「夢」と距離をとって、上手につきあうことを提案する。現状分析と比べてややなまぬるい感じがする提案だけれども、若者への実践的な手引きとしては十分なものだと思う。

著者の児美川さんは、僕が学生時代、東京郊外の地元で公民館活動をしている時に、一学年下で時々顔を合わせる東大教育学部の学生だった。おそらく志を実現して教育学者となり、すでにキャリア教育研究の権威として多くの著書をもっている。このこともまた感慨ぶかい。