大井川通信

大井川あたりの事ども

『ビアス短編集』 大津栄一郎編訳 2000

十代の終わりに、少しだけ文学青年だった時期があって、その頃好きだった作家の一人が、アンブローズ・ビアス(1842-1914)だった。短期間だったから、多くの作家に触れたわけではない。小栗虫太郎も好きだったから、少し異端の匂いがある作家が気になっていたのだろう。

岩波文庫の新しい短編集を読み直してみると、感心できる作品は少なくて、南北戦争を舞台にした作品に限られることに気づく。「アウル・クリーク鉄橋での出来事」「宙を飛ぶ騎馬兵」「チカモーガの戦場にて」、これくらいだ。

南北戦争は彼が18歳の1861年4月に始まって、22歳の1865年4月に終わっている。北軍義勇兵になったビアスは激戦地を渡り歩き、士官に昇進する。戦闘で重傷を負ったり、捕虜となって脱走したりする経験も重ねて、終戦を迎える。

ちょうど高校を卒業して大学に入学し、卒業するまでの4年間とぴたりと重なるのだ。「南北戦争ビアスの学校だった」と言われるそうだが、まさにいい得て妙だ。戦いから四半世紀を過ぎて書かれたビアス南北戦争ものは、小説の技巧の巧拙を超えて、事実そのものとしての戦争を突きつけてくる。だから命脈を保っているのだろう。

僕が大学時代に読んだのは、同じ岩波文庫でも薄い『いのちの半ばに』(西川正身訳1955)だった。収録作品は半分弱で、作品は新訳と重複している。

近ごろ翻訳小説を読む機会も増えて気づいたのだが、必ずしも新訳の方が良いわけではない。ビアスの新訳も日本語の文章としてどこか散漫な印象で、読みにくかった。それどころか、小説の要を理解していないと思われる翻訳さえある。僕がたまたま気づいたところを示してみよう。

「行方不明者のひとり」は、斥候に出た兵士が建物の崩壊の下敷きとなり、身動きの出来ない自身の頭に、埋もれたライフルの銃身が向いているという絶体絶命の事態を描いている。兵士は覚悟して何とか手を伸ばし、引き金をひく。

しかし銃弾は発射されない。建物の崩壊の衝撃で誤射されたしまったからだ。ここで旧訳は「だが、銃はそのなすべきことを見事果たした」と続く。一方、新訳では「ライフルはすでに自分の仕事は果たしていたのだ」になっている。

では、この小説のオチは何か。兵士は、弾丸に当たることなく死んでいて、しかも実際にはわずか20分くらいの必死の葛藤が、兵士を死後一週間の遺体に見せるほど消耗させていた、というものだ。

旧訳は、精神的な恐怖が兵士を死に至らしめたことを暗示しており、スムーズに結末へと読者を導くものだ。新訳では、ライフルの誤射の説明を繰り返しているとしか読めないから、結末の兵士の死が唐突なものになってしまい、オチがうまく機能しなくなっている。