大井川通信

大井川あたりの事ども

再びビアスのこと

この際だからと、現在手に入るもう一冊のビアスの短編集、光文社古典新訳文庫シリーズの一冊を取り寄せて読んでみる。全14編のうち岩波文庫との重複は、4編のみだ。翻訳はこちらの方がいいような気がする。ただし、巻末の解説はダラダラと長いばかりで、焦点の定まった読みがないのは期待外れ。

読後、はっきり良いと思えたのは、ここでも「アウルクリーク橋」と「チカモーガの戦い」のみ。古い岩波文庫西川正身訳で読み返してみると「空飛ぶ騎手」(さわりの部分を比較しても岩波の新訳は問題あり)がやはりいいので、味読に値するのは、どうやらこの3編しかないような気がする。

芥川は「鋭い技巧家」と評したが、実際はジャーナリストの余技でしかなかったのだろう。怪談ものは、思い付きを書いているだけのようで面白くはない。南北戦争ものは、実際の生死をかけた従軍の経験に基づいているだけに、水準が高い。

その中で、この3篇が小説として成功しているのは、情景の切り取り方が格別だからだろう。アウルクリーク橋での処刑と逃走の緊迫感はいうまでもない。チカモーガで、幼児に「率いられる」敗残兵の敗走の群れの姿は衝撃的だ。

「空飛ぶ騎手」の構成と翻訳について触れてみる。まず、戦場の説明。次に、歩哨兵の人となりの説明と馬上の敵兵の出現と射撃。さらに、がけ下で敵兵の「飛行」を目撃する士官の証言。最後に、射撃後の歩哨兵の告白。

見事な起承転結の構成になっている。特に転の部分における第三者の視点の導入によって鮮やかなイメージがとらえられ、それが結末のオチを際立たせる。だから崖下の士官の役割は重要だ。

彼は自分が見たものが信じられなかったけれども、敵兵がそんな危険なふるまいをする以上、崖から降りる道はないのだと判断してそのことを上官に報告する。上官は夜襲のために敵陣に通じる道があることを知っているので、部下の誤った報告に微笑する。岩波新訳では、逐語訳のためこのやりとりが意味不明なものとなっており、消化不良のまま結末を迎えることになってしまう。