大井川通信

大井川あたりの事ども

箇条書きではだめだな、箇条書きでは生きられない。

今村仁司先生は、晩年、東北の浄土真宗の僧侶たちと交流があって、13年に渡って勉強会を続けていた。その記録が、「無限洞」というグループの会報にまとめられている。先生の死後には、追悼のシンポジウムを開いて、それで特集号を編んでもいる。メンバーに勉強熱心で実務能力のあるお坊さんがいたようだが、これだけの関係を続けられたのは、やはり先生の人間的な魅力が大きかったのではないか。

会報に、先生の亡くなる二か月前に、先生の体調から、いつもの仙台ではなく東京経済大学に10名ほどのメンバーが出向いて行われた座談会の記録がある。この時先生はほとんど食べ物がのどを通らない状態だったようだが、意気盛んで、メンバーに向って、しきりと「書くこと」をすすめているのが印象的だ。

「みんな書くようにした方がいいよ。へたくそでも手を付けなければ永遠に出発点から踏み出せないのだから」

「書くということは、読むことと同時に生きることだから、書いてみるということが出来ないと、これはもう実践していないということになる」

「書くというのは生きるということだから、教えてもらったことを口真似しているようでは書いたことにならない。血が噴き出すように頑張らないといけない」

「思想の領域は文章が上手いか下手かは関係ない。迫力だけなのですよ」

「アイデアだけが重要だ。着想とか自分の思うところを模索しているのだが、はっきり言えないが熱っぽく向かう方向があってそこに力を投入している、そういうことが文章に表れる。格好つけると失敗する」

「箇条書きではだめだな。叙述していくということは、同時にそれを生きていくということだからね。箇条書きでは生きられない」

この当時(2007年)は、ツイッターなんてものはまだなかったけれど、断片的で格好つけたつぶやきではだめだということだろう。下手でも、自分の課題を大切にして、意味のとおるまとまった文章を書きつづけること。

読むことは生き死にをかけた労働である、と語っていた先生の若いころの講義を彷彿させるような、まっすぐな励ましの言葉がここにはある。