大井川通信

大井川あたりの事ども

『〈希望〉の心理学』 白井利明 2001

ずいぶん前に購入した新書を初読。少し前に『夢があふれる社会に希望はあるか』を読んだとき違和感が強かったので、それをぬぐうために手に取ってみた。

前著は、キャリア教育の専門家の本のためもあって、夢=なりたい職業という世間の等式を前提としたうえで、あくまでその範囲で、夢ともっと柔軟につきあいましょうという実用書でしかなかった。夢についても、希望についても、その言葉の意味をちょっとでも掘り下げようというものではなかった。

ただ今度の本も、教育学部出身者の心理学者の本だから、その通弊は免れない。細切れな学説や実験の紹介をつないで論述は進んでいき、その間の微妙なニュアンスの違いや論理的なつながりの有無は無視される。じゃあ、あなた自身は「時間」や「希望」についてどのように概念を定義して掘り下げ、一貫してどのように考えているのですか、と問いかけたくなってしまう。

さまざまな学説の紹介と整理のあとに、いわばそれらの最大公約数を踏まえて著者の下す結論は、力強い思考の成果というよりも、とってつけたような常識的なものという印象になっている。このような叙述のスタイルは、著者に責任があるわけではないが、読者を自分で考えることに誘いにくいものだろう。

勝手な不満を書き連ねてしまったが、『夢があふれる社会に希望があるか』への違和感をぬぐうためには十分役立つ本だった。自分なりに受けとめたことを要約してみよう。

人間は、「時間的な展望」という現在のふくらみのなかで生きている。そこには、過去と未来の時間とともに、たくさんの他者が呼び込まれている。希望や夢は、この現在のるつぼの中で生み出されるもので、人が生きていくうえで不可欠な要素だ。それは外から押し付けられたり、自分で取り外したりできるようなものではなく、生きるということの定義に含まれるような、生きることに密着した、いや生きることそのものでさえあるような何かなのだ。

時間的展望という視点からは、未来だけではなくいわば過去への展望が重要であるということも書かれていた。年を取ると、未来の時間も少なくなるし、そこで実際にできることも限られてくる。その場合、この本でも紹介されているように、常識的には自分以外の他者の未来を展望するという解決策になるのだろう。しかし、人生最後の瞬間にも、本人には現在とあふれるばかりの過去はある。そこに何か別のやり方を見つけることができたら、と空想してしまう。

  

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