大井川通信

大井川あたりの事ども

カイツブリの秋の子育て(・・・)

仕事の帰りに車を停めてみると、ババウラ池の水の大半をなくなり、底に大きな水たまりのように残っているだけだ。どうやら底の栓をあけて一気に水抜きしてしまったようだ。

水たまりにカイツブリの親鳥はいない。おそらく水が無くなって生活できないレベルになると、たとえ子育ての途中であっても本能的に飛び去ってしまうのかもしれない。飛ぶのが苦手で水面での助走が必要なカイツブリだから、たとえ親鳥でも脱出のタイミングを逃すわけにはいかないのだろう。

水たまりには、一羽のヒナしか残っていない。もう一羽は、環境の激変ですでに命を失ってしまったのだろう。しかし残ったヒナは、活発に動き回っている。潜水こそできないが、浅瀬にたえず首を突っ込んで、時々はエサをのみこむような仕草を見せている。池全体の生き物が水たまりに追い込まれているから、エサは豊富なはずだ。

しかしいかにもヒナは小さい。まだまだ親の世話が必要な時期で、たとえ別の池に移してあげられたとしても、一人で生きていくことは難しいだろう。

双眼鏡で水面に目をこらしているうちに、不思議な気分になってきた。たしか江戸川乱歩の短編に描きこまれていたと思うが、望遠鏡の視野の中の世界に、自分が入り込んでしまうような感覚だ。

水たまりの水面には、ウシガエルが何匹も顔を半分出して外をうかがっている。水際にはたくさんのザリガニが押し寄せて、陸に上がっているものもある。酸素が足りないのかどこか苦しそうだ。小魚も時々跳ね上がる。彼らは、なけなしの水たまりの中で、死を迎えるしかない存在なのだろううが、しかし恐れる気配もなく堂々としている。

カイツブリのヒナも泳ぎ回りながら、どこか楽しげだ。思わず早く親から独り立ちが出来て、自由になれたのが嬉しいのかもしれない。自分の身体の何倍もあるウシガエルの背中をつついたりして、カエルを驚かせたりしている。たまに水辺に上がって、小さな身体で羽繕いをしている。

生き物は、そして自然は、現在が全てなのだと悟る。自分に与えられた場の中で、嬉々として精いっぱい生きる。生存の条件はいつか失われる。それが明日になるか、数年後になるか、わからない。しかしそれを思いわずらってもしようがないし、その必要もないのだ。

 

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