大井川通信

大井川あたりの事ども

芭蕉と「海をながれる河」

 

暑き日を海に入れたり最上川

 

おくのほそ道ネタをもう一つ。

これも有名な句だが、読書会で読んだ入門書には、「暑き日」は暑い一日の意で、暑い太陽の意にはとらない、という解説がついている。しかし、暑い一日を最上川が海に流している、ということは理屈では言えても、具体的にどういうことなのかわからない。

読書会の席上で、僕は、最上川の流れが海の果てに太陽を沈めている情景を詠んだものだろうと主張した。僕自身、日本海に注ぐ川の河口の脇にある職場に勤めたことがあるので、そういう風景を想像できたからだ。

また、詩人石原吉郎の詩句「海をながれる河」のイメージもあった。上流での急流の勢いこそないが、広い河口近くでゆったりと流れる大河のエネルギーは、海に注いで消えてしまうものではない。悠然と海を割って流れ、日没の太陽を海に沈めるほどのパワーを残しているのだ。

これは他の参加者も同じ意見だったと思う。すると、この入門書の断定が腑に落ちない。手元に資料もなくネット情報に頼るしかないが、尊敬する山本健吉さんの解釈も、太陽説であることを知って、安心した。幸田露伴が唱えた説を支持したものらしい。

ところが、山本さんの本にも有力な国文学者による一日説が紹介されており、国文学者の間ではこれが通説ということなのかもしれない。「涼しさや海に入れたり最上川」という芭蕉の初案を重視した解釈ということだろう。

しかし一篇の独立した詩作品として見た場合、解釈の優劣は歴然としていると思う。

 

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