大井川通信

大井川あたりの事ども

『一期は夢よ 鴨居玲』 瀧悌三 1991

何年か前に、帰省時に東京の古本屋で購入していたもの。やはり鴨居玲(1928-1985)は気になる画家だったのだろう。今回、10年ぶりに回顧展で多くの作品を観て、初めて読んだ。

鴨居とも面識のあった美術記者の手になる伝記で、かなり綿密な取材に基づいて描かれており、信用できる内容だ。その分、断片的な事実の羅列みたいなところもあって、物語としての面白みや、人物評や作品評の深みには欠けているかもしれない。

鴨居はいわゆる戦中派で、僕の両親と同世代だ。両親は堅実な庶民で、奔放な芸術家とは比較にならないが、しかしそれでも今から振り返ると、同時代人として共通の匂いを感じてしまう。戦争の苦労と、敗戦後の混乱、貧しさの中からの希望へのドライブ。戦中派の人生の背景にあるのはこんな道具立てだ。

鴨居玲肖像画や人物像を多く描いており、その作品は自身の生き方や考え方に深く根差したものであるのは間違いないだろう。絵の中に彼の人生が叩き込まれているし、そう思われるように彼が演じていた節もある。しかしかえってそうだからこそ、画家の人生と作品との亀裂の方がむしろ気になってしまう。

鴨居のような破滅型の生き方をした表現者は多くいただろう。しかし、鴨居のような絵を残したのは、彼一人である。詳細な伝記を読んで、鴨居の絵の秘密はかえってわからなくなった。魅力ある絵を絵として受け取ればいいのだと改めて思い当たる。

僕は、坂崎乙郎(1927-1985)の評論から鴨居玲を知ったのだが、二人の間に暗い情念への共感と批評家から画家への一方的な思い入れがあったことを知って、驚いた。坂崎は鴨居の自死のあと、3か月後に後を追って亡くなっている。

師匠の宮本三郎が、若く地に足のつかない鴨居に、小山田二郎に会うように勧めるエピソードも印象に残った。

 

 

ooigawa1212.hatenablog.com