大井川通信

大井川あたりの事ども

河東村を歩く

朝、大井川歩きに出るときは、おおよその方向や目的地をイメージしておく。漠然とでもその場所に行ってみたい、という気持ちが起きないと、勇んで家を出発する気にはなれない。

今日は、久しぶりに、旧河東村を訪ねようと思った。河東(かとう)は文字通り、釣川の東岸にあり、大井とは川をはさんで向かい合っている。先日良い出会いのあった多礼村は、川沿いで隣同士の関係にある。

橋を渡ってすぐの所の里山の入り口に、小さな不動堂がある。かつては行き倒れの旅人の霊を慰めるために祀ったという由緒書の看板が立てられていたのだが、今ではそれも撤去され、周辺もだいぶ荒れている。経緯を知る人もいなくなれば、大切に祀る意識も薄れてしまうのだろう。

さらに歩くと、旧集落の中に、あたらしいアパートや住宅が建て込んでいる土地がある。その中に「沖」と名付けられたお洒落な集合住宅があって、入り口にその名前の由来を説明する掲示板があるのが珍しくて覚えていた。

ここに沖と呼ばれた屋敷の離れがあって、自分たち家族の暮らしがあったこと。新しい住人たちにも幸せな生活があってほしいこと。オーナーの思いがこもった温かい文章だった。しかし三年ぶりに訪ねると、それも撤去されている。オーナーが代替わりでもして、そんなメッセージは不要と判断されたのかもしれない。

交差点の角にうなぎ屋があるのを、僕も以前から気づいていた。最近になって、ここがかつては大井のひろちゃんの亡くなった息子さんが始めた日本料理店で、病気になったために別の人に譲ったという話を知った。玄関先には立派な柱が並んでいる。ここにもひろちゃんたち家族のいろいろな思いが染みついているのだろう。

ここまでくれば、久しぶりに福崎の里山の中にある金や銅を掘ったという鉱山のあとを見ようと思ったが、入り口が見事にやぶでふさがれている。とても入ることはできないとあきらめた。

以前来た時、街道沿いにパン屋さんがあったことを思い出して探すと、幸い今も営業をしている。近ごろは町の普通のパン屋さんが閉店することが多い。町の書店といっしょで、コンビニに飲み込まれる運命なのだろうか。

パンをほおばりながら、4キロばかりの道を引き返す。

 

ooigawa1212.hatenablog.com