大井川通信

大井川あたりの事ども

『夏子の冒険』 三島由紀夫 1951

読書会の課題図書。三島由紀夫(1925-1970)が自死したのが小学校3年生の時で切腹のニュースの衝撃が大きく(当時はまだ天皇を神と仰ぐ風潮が残っていたから)「まともな」作家とは思えずに今までなんとなく敬遠していた。今回初めて読んで、若いのに自制のきいた筆力とユーモアも自在に操れる文体をもっているのに驚いた。

「わたくし、年寄りではございません。年をとるまいと思ったのが三十の年で、それ以来年をとっておりません。松浦の家へ嫁にまいりましたとき、いびきをかくまい、と思い立って今までかいたことのないわたくしでございます」とは、夏子の67歳の祖母のセリフだ。

夏子は他者の絶対的な情熱の前に自制を失って突っ走り、家族や周囲はただそれにひれ伏すしかない。三島自身が徹底して自制とコントロールと配慮の人だったために、戦前の天皇制みたいな、空虚な情念にやみくもに従うような世界にあこがれをもっていたのかもしれない。

読書会の事前提出レポートに「この物語のその後、夏子と毅が結ばれるための新しい展開を考えてみてください」という課題があったので、次のようなストーリーを作ってみた。 

 

「毅と別れて修道院に入るために夏子の乗った青函連絡船が、巨大クジラにぶつかって沈没し、夏子はクジラに飲み込まれてしまう。毅は再び復讐を誓い、捕鯨船に乗り込んで、巨大クジラを追う。

実は夏子は特異な生命力によりクジラのお腹の中で快適に生活していた。クジラの肉体を乗っ取って、外界をモニターし、泳ぎもコントロールしていた。

そこに、捕鯨船にのった毅が現れ正面に立ちふさがる。クジラの腹の中の夏子は、毅の瞳に再び情熱が燃え盛っているのを見て、強くひかれる。

毅の打ったモリは巨大クジラに命中するが、クジラは捕鯨船を海中に引き込んで、どこまでも深海に潜っていく。その後二人の姿を見たものはいない」