大井川通信

大井川あたりの事ども

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレンディみかこ 2019

読書会の課題図書。面白かった。親子による多様性のためのレッスンともいうべき物語で、すみずみにまで神経の行き届いたテキストになっている。

登場人物の個性も、エピソードの描き方も、ストーリーの展開も、言葉のセンスもとても心地がいい。だから、よくできたフィクションとして受け取る分には、何の問題もない。しかし、もしこれを事実そのままに近いノンフィクションと考えるとしたら、余計な違和感が頭にうかんでしまう。読書会の議論でも、このあたりではっきり評価が分かれた。

現実の子育てはもっとぐちゃぐちゃで、親子ともども美談などにはとても回収しきれない夾雑物を抱え込んでいる。日常は散文的で、小説のように都合よく興味深い展開をしてくれない。絵に描いたような排外的な日本人にタイミングよく出会う機会もないような気がする。

著者はとてもセンスと頭の良い人で、様々な現実を的確に解釈する枠組みが出来上がっているのだろう。そのためか著者が多様性の承認とは反対側に想定する敵役(格差やエリートや緊縮財政など)については、容赦ない決めつけが顔をのぞかせる。

たまたま廊下からのぞいたエリート校の授業風景だけから、子どもたちの決定的な分断が断定されたりする。一方、底辺校、元底辺校という言葉は連発されるが、その両者をつなぐ努力やプロセスについてはほとんど関心が示されない。

だから、底辺校を元底辺校に変える地道な努力を担った校長に対して、珍しく著者は煮え切らない態度を見せる。そのたたずまいには好感を寄せながら、学力優先の姿勢をやんわり批判したりするのだ。

洋の東西は違え、保護者によって書かれた学校論、教育論と考えるとすっきりする。保護者は、学校制度に関しては、それを与えられるものとして「消費」する立場なのだ。