大井川通信

大井川あたりの事ども

作文的思考が、それしかないというような、密かな僕の方法論です

★以下は、2006-7年の「玉乃井プロジェクト」の時期に安部さんと連絡用に頻繁にやり取りをしていたメールからの一部抜粋。この時期に、後に台本『玉乃井の秘密』のモチーフとなった「タマシイの井戸」という発想や、「作文的思考」というキーワードが出ていたことに我ながら驚く。安部さんからの学恩に改めて感謝。

★このプロジェクトで、僕は玉乃井別館の旧炭鉱保養所にからんだ企画と、安部さんの祖父が作った「日本海海戦記念碑」の調査という二つの課題を担うことになった。いずれも安部さんの身近な人物や場所にスポットライトを当てて掘り下げたものだが、以後、その手法を自分の足元に向けていくことになる。

 

・僕としては、9月の会は「玉乃井プロジェクト」の一部として、タマノイに封じられた無数のタマシイの声に耳を傾けながら、人の営みについて語り合う場として位置づけてもらえたら、と希望します。

・より開かれた場所である、玉乃井プロジェクトと併走できるというのは、偶然とはいえ、「僥倖」だと思います。(安部さんが今日言っていたように)地味で、見栄えのしないローテクな「言葉」で頑張る、という意欲と刺激を受けることができる、という意味で。

・大づかみにいって、美術家の発想は、イメージから出発してイメージへと収斂するものに思えます。従来からの「作品」を否定しプロセスを重視する場合にも、そのこと自体がどこか形式的に「作品」として眺められている。イメージよりも、愚直な了解を求めるという自分のスタンスが、そこからはっきりしたように思えました。

・玉乃井プロジェクトは、いやおう無くそこにあるような家(建物)や道具、家族に直面することで、「思い出に淫する」ことに抗するような側面をはらんでいる、という気がします。

・実は、作文的思考、というのが、それしかないというような、密かな僕の方法論です。

 ・玉乃井プロジェクトには、安部さんが美術・思想の試みとして始めた狭義のそれと、100年前に玉乃井の建設とともに始まった、この建物という場での営業や出会いや愛憎の全てを含みこんだ広義のそれがあるでしょう。さらに、日本海海戦記念プロジェクトという、安部正弘氏を主体とするプロジェクトがあります。そして、全ての根底には、近代(化)という大きなプロジェクトがある、というのが僕の見取り図です。9月の会という対話の時空が、それらのプロジェクトの地層を、一挙に対象化するというやり方でなく、静かに手作りの探照灯を下ろしていくという方法で言葉にしていくことができたら、と願っています。

・玉乃井や安部家・建物の歴史を一方的に観察するのではなく、自分自身の家族の歴史とすり合わせることで発火する視点が、身体に刻まれた歴史に参入していくための手がかりになるということ。

・5日に、僕の恩師である今村仁司さんが亡くなりました。先日、安部さんが、現代美術について、それを見せる側の「気合」が、作品を成立させる、説得力を生む、ということを言われていて、なるほどと思いました。思想、などという言葉の絵空事も、それにリアリティを吹き込むのは、言葉を発する側の「気合」であるように思います。僕は今でも、何事かを考えたり、話したりするとき、恩師の「気合」に導かれている、倣っている、という感覚がどこかにあります。4月の9月の会で、とくにその感じをもったばかりだったので、その直後の訃報には呆然としました。

   

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