大井川通信

大井川あたりの事ども

オリンピックと万博とリッカーミシン

リッカーミシンの立川工場をネットで検索したら、東京五輪を回想する記事が見つかった。1964年に開かれたオリンピック代表選手の壮行会の写真を取り上げている。前に立つ吉岡隆徳監督や依田郁子選手らの姿と、その前に並ぶ工員たちの後ろ姿が写っている。工員は全員参加したというから、この会場のどこかに父親もいたのだろう。話好きの父親のことだから、その夜の食卓ではこの壮行会のことが話題となったはずだが、当時2歳の僕にはちんぷんかんぷんだったはずだ。

年末の吉田さんとの勉強会では、「働くことについて」の三本の記事を報告したので、あらためてリッカーという会社について思いめぐらしてしまう。

リッカーは、東京オリンピック陸上競技部を中心に14人の代表選手を送り込み、その6年後の大阪万博にも、パビリオンを出展している。会社の規模からしたら、この二つの国家的な行事への貢献は過大だったといえるかもしれない。ミシンメーカーとして高度成長の先駆けとなったものの、70年代にはすでにピークをすぎていたのだ。

その今では影も形も無い企業が支えていたオリンピックと万博が、半世紀以上後の今の日本に蘇ろうとしている。しかも再び、オリンピックは東京、万博は大阪、という冗談みたいな繰り返しで。

オリンピックが決まったときには、これで開催までの景気は大丈夫だという楽観論が広がっていた気がする。その安易な発想が、今になって強烈なしっぺ返しを受けているのだろう。