大井川通信

大井川あたりの事ども

通りすがりの女に

朝からコメダ珈琲で、ボードレールの『悪の華』をしこしこと読む。この訳詩集の中に、「通りすがりの女(ひと)に」というタイトルの、こんな詩があった。

街中で、一瞬、喪服姿の美しい女性とすれちがう。彼女の瞳に、「魂を奪うやさしさ」と「いのちを奪う快楽」とを見て取って、ボードレールは稲妻に打たれたように立ちすくんだ。彼女には二度と会うことはない。しかし、自分は彼女を愛したはずだし、彼女もそれを知っていたはずだ!

という、なんとも現実離れした自信過剰の妄想の産物である。さすが詩人。ところが現実はこうはいかない。

その時コメダ珈琲の隣の座席には、小さい可愛い男の子をつれた若いお母さんが座っていた。僕は子供が好きだから、二人のなごやかなやり取りを、本を読みながら無意識に好感をもって聞くともなく聞いていたのだ。

親子が会計で立ち上がったとき、僕はつられて彼女をちらっと見上げてしまった。正直に言えば、ボードレールと同じように、若くてきれいな女性に目を奪われただけだったのだ。ただ、その目つきが悪かったのだろう。

彼女は、すまなそうに身をかがめて、子どもがうるさくてすいませんでした、と小声でささやくと、足早に立ち去ってしまったのだ。

彼女にはおそらく二度と会うことはないだろう。しかし僕の好意は永遠に理解されることなく、子育てに無理解な偏屈な中高年の代表として、彼女の記憶に刻印されてしまったのだ。