大井川通信

大井川あたりの事ども

『できるヤツは3分割で考える』 鷲田小彌太 2004

著者の鷲田小彌太(1942-)は、僕にはなつかしい書き手だ。柄谷行人今村仁司と同世代で、マルクス研究を出発点として現代思想を幅広く吸収し、どん欲に研究や評論の幅を広げてきたという共通点がある。実際、この二人をライバル視する発言をしている。ただ、本格的な思想家論、思想史論から、読書や働き方のノウハウ本(『大学教授になる方法』はベストセラーとなった)まで、硬軟おりまぜて書きまくった量では、彼が二人を圧倒しているのは間違いない。

僕も若いころは、よく彼の本を買って拾い読みをしていたが、明快な主張と鬼面人を驚かすような極論とが同居し、ちょっととらえどころのない感じがしていた。長く積読してきたこの本で、彼の思考の秘密に少し触れたように思える。

もともとマルクス主義者だから、思考の基本は、弁証法ということだ。それに尽きる。それを三分割法と命名し、様々な事例に寄り道して、くどいほど繰り返している。にもかかわらず、三分割法のイメージははっきりとしてこないし、使いこなせる武器を得たという満足感も得ることができない。

「思考の営みとは、自説の異論を対置し、その異論を乗り越えてゆこうとする知的営みである」という主張はわかるし、そのために自説(出発点)に戻り「三角形」をつくることが肝心だという。完結した三角形は、新たの未知と問いを生み出し、それが新たな三角形を継ぎ足していく動機となるということも了解できる。

それなら、なぜそれが「三分割」なのか。三分割といってしまうと、すでに自分がもっている思考を、器用に三つに割って論の形式を整える、というイメージになってしまって、異論へと飛躍し、そこからさらに自説をパワーアップするというダイナミックさが消えてしまう。

昔、空手マンガで、主人公の必殺技に「三角飛び」というのがあった。敵と向かいあっているが、スキがなく決め手となる攻撃を加えることができない。その時、まったく別方向の壁や樹木に跳び、そこをスプリングボードにして、敵に意外で強力な飛び蹴りを加えるのだ。できるヤツは「三角飛び」で考える、と読み替えることで、かろうじて僕には弁証法が思考の武器になるように思える。

それでは、著者にとってはなぜ「三分割」なのか。著者は大量の書物や文章を書くための方法として、これを使いこなしているからだ。個々の論点を三分割することで、いくらでも論述をふくらましていくことができるし、実際、この本もその方法によって書き上げられている。しかし、肝心のテーマについて深まりを見せない本書をみるかぎり、それが本をつくる優れた方法であるかどうかは、疑問が残る。