大井川通信

大井川あたりの事ども

すべての到着したものは此処に滞在し、古くから在るものはいよいよ処を得るでせう。

詩は、名作のアンソロジーで読むのが一番いい。特定の詩人の詩集では、読み手にとって当たりはずれがどうしても多くなる。専門的な読み手ならそれでもいいかもしれないが、一般の読者にはストレスが大きすぎて、本を投げ出すことになってしまう。

郷原宏が編集した『ふと口ずさみたくなる日本の名詩』は、20年近く前の本になるが、その中でもお気に入りだ。活字が大きく、詩の言葉がくっきり浮き上がっている。編者による解説も的確でわかりやすい。僕の好みの詩が、驚くほどぴたりと選ばれている。

ひさしぶりにぱらぱらとめくっていると、今までまったく意識していなかった作品の言葉が、突き刺さってきた。

 

すべての到着したものは此処(ここ)に滞在し、/古くから在るものはいよいよ処(ところ)を得るでせう。/豊かな形象にそれぞれ秩序の陰影をあたへ、/もっとも貧しい者をも/「在ること」の偉大で鼓舞して下さい。

わたしも今日は遠く行かず、/家をいで、立ちどまり、やがて帰り、/つねに周囲の空間を身に感じ、/深く目ざめて世界と共にあるでせう。

 

尾崎喜八(1892ー1974)の「秋」という四連の詩の後半の二連の引用だ。これがなぜ僕に響いたか。まるで、今の僕がのめりこんでいる大井川歩きという自宅周辺限定のフィールドワークの核心を歌っているように思えたからだ。「家をいで、立ちどまり、やがて帰り」というのがいい。

大井川歩きを始める前の僕には、ちょっと縁遠い宗教的な自然賛歌としか思えなかったような気がする。詩は不完全な言葉の断片だ。そこに命を吹き込むのは、読み手の側の精神や生活の文脈との偶然の合致であると、あらためて実感した。

 

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