大井川通信

大井川あたりの事ども

『田舎教師』 田山花袋 1909

読書会の課題図書。田山花袋(1871-1930)が漱石(1867-1916)よりも若く、この作品も『三四郎』の翌年の出版なのに驚いた。何となく漱石以前というイメージがあったので。内容もみずみずしく、十分読み応えのあるものだった。モデルとその資料に助けられているのかもしれないが。

主人公林清三には、いろいろ身につまされて、他人事と思えないところがあった。実家が貧乏、熱しやすく冷めやすい、お菓子が好き、弱虫、等々。

新潮文庫解説(1952)で福田恒存が、主人公にとって文学も恋も音楽学校志望も中学教員試験も全部「出世主義」の現れだ、と切ってすてるのは乱暴すぎる。ただし、改版しても古い解説が残っているのは、当時の読みの歴史的資料として貴重だ。戦後間もない時期には、旧時代の生き方を全否定する必要があったのだろう。

文学や恋愛への憧れは旧制中学の生活の中で生まれたものだし、教員生活で音楽に目覚め、村の自然への関心を中学検定試験の勉強につなげている。遊郭通いで新しい色恋に出会い、教え子との交流から自然と愛おしむ感情が芽生える。グチりながらも、生活の場でしっかり希望をつないでいるのは共感できる。

作品の舞台が埼玉県の実在の土地で、その位置関係が絶妙だ。地方都市である熊谷には旧制中学があり、上級学校に進学するためには、浦和や東京に行かないといけない。清三の実家は熊谷から10キロ余り距離のある行田であり、就職先の小学校は、行田から熊谷とは反対方向に10キロ余り離れた弥勒にある。その途中にある羽生に、やがて清三の家族は移り住む。赴任も転居もまさに都落ちだ。

交通手段が乏しかった時代に、その実際上の距離はとても大きかったのだろう。清三は、その距離を徒歩で一歩一歩踏みしめながら、自らの境遇を理解し納得していくことになる。清三は散歩好きなのだ。僕もいつか作品の舞台となった土地を歩いてみたいと思う。

 120年前の町や村の生活と四季の営みや自然がたんねんに描かれていて、その情報量だけでも有意義な読書だった。