大井川通信

大井川あたりの事ども

『電気蟻』 フィリップ・K・ディック 1969

ハヤカワ文庫のディック短編傑作選を読む。どれも粒ぞろいでひきつけられるだけでなく、しっかりした哲学的な問いを背景に持っていることに驚く。自己とは何か。現実とは何なのか。他者や、あるいは神とどう向き合うのか。ディックがSF作家として高名なのにも今さら納得した。

収録の「にせもの」(1953)は、以前みた映画『クローン』が好きで、その原作として読んでいた。今回読み直して、やはり抜群に面白い。自分は人間なのかアンドロイドなのか、それを自分では決定することはできないのだ。同じモチーフを扱った「電気蟻」は、そこからさらに主観と客観、自己と世界の問題を扱っている。

会社社長のプールは、自動車事故をきっかけとして、自分が「電気蟻」と呼ばれるアンドロイドであることを知る。絶望した彼は自死すら考えるが、自分を動かすプログラムを操作することで、自分をプロブラムの設定から自由にして、自分にとっての世界をもコントロールしようとする。なぜなら、アンドロイドとはいえ、自己の主観的な経験が世界を成り立たせていると考えることができるからだ。

プールは最終的な実験として、自分のプログラムを停止させる。彼の予想に反し、それはただ彼の機能を止め、アンドロイドのスクラップを一体世界に残しただけのように見えた。しかし、やがて彼の周囲から世界は透明化し、消え始める。

なんとも恐ろしく、魅力的な結末だ。