大井川通信

大井川あたりの事ども

「楽ちん戦略」ということ

20代の頃、塾の専任講師を三年間やっていた。教育に志があったわけではなく、最初の会社を辞めて、生活のためにたまたま見つけた仕事だった。

塾では、小中学生に社会科を教えた。進学塾なので、クラスは学力別に、S、H、M、Bと分かれている。Bクラスはベイシッククラスということなのだが、当時、親が家の子どもがバカクラスとは何事かと(子どもの冗談を信じて)クレームをつけてきたという笑い話があった。小学校の三年生くらいから熱心に通っている塾生も多いのだが、いくらがんばっても学力別のクラスを移ることは難しい。

自分が子どもだったときには、子どもたちは同じ条件でスタートしていて、単に努力の違いで成績が分かれるだけだと「感覚的」に信じていた。それは民主的な平等教育のよき成果だったとは思う。しかし教える立場になって、実際には勉強には向き不向きがあって、いくら勉強しても成績にあがらない子どもがいることに気づかざるを得なかった。ただ、なぜそうなのかは講師をしていた3年間ではわからなかった。

自分の息子の大学受験の指導をするようになって、勉強に向いていないから学力があがらないといってすますわけにはいかない。彼の勉強ぶりをよくよく観察することで、成績向上のネックになっているものが「楽ちん戦略」と呼ぶべきものであることを発見した。

せっかく勉強したのに試験の成績が上がらないメカニズムはおそらくこうだ。

関連知識を暗記する。公式を覚える。問題別の解法を身につける。それらの知識も技法も、実際に試験問題に向き合ったときに、 うまく活用して問題を解くという地道な努力をするからこそ結果に結びつくわけだ。いわゆる勉強ができる子どもにとっては、解ける問題をあえて解かないという選択肢はありえないだろう。

しかし、この努力は手間がかかる。たとえ努力すれば解ける問題でも、なにも考えずにいい加減に解答したり無回答でやり過ごす方が、ずっと「楽ちん」なのだ。子どもたちは小学生の時から数限りなくテストを受けてきている。いったん「楽ちん戦略」の習慣をつけてしまうと、それを繰り返すことで、本来なら解ける問題でもまじめに解答作業を行うことが難しくなる。

これは簡単には治らない無意識の習慣だ。結果さえ気にしなければ、これは合理的な選択なのだ。「勉強なんかできなくていい」「いい学校なんかいかなくていい」という強力な言い訳も後押ししてくれる。

僕はこのことに気づいたときにはがくぜんとした。しかし気づきは行動や習慣の(いわば認知行動療法的な)改善のための第一歩となる。親子ともども受験勉強の早い時期にこの課題を自覚できたことが、志望校合格につながったのだと思う。