大井川通信

大井川あたりの事ども

僕の道くさ地図(その2)

実家の地図と、今の家の地図。この二つの二万五千分の一の地図をクリアファイルの表裏で比較すると、いろいろな面白いことに気づく。

意外だったのは、二つのまちが良く似ているということだった。東京郊外と九州の田舎という見た目の差異を超えて、地域の構成要素とその構造が似ているのだ。

JRの駅を起点に、放射状に大通りと住宅街が広がり、そこは碁盤の目のように区画されている。その外側に大規模な集合住宅の団地が並ぶ地域がある。新しく開発された地区の外側に旧村の古い集落と大きな神社があり、田畑が大きな川の河岸まで広がっている。

JRの駅、放射状街路、大規模住宅街、集合住宅の団地、旧集落、神社、田畑、河川。こうした要素が、その大小や並び順は別にして同じように存在しているのだ。ただ地図の中心の位置が、二つの地図でずれている。実家は住宅街の中にあったのに反して、今の家は大規模住宅街からは離れて、旧集落に隣接する小さな住宅地に位置している。

なぜ、こんなにも似てしまったのか。理由は二つ考えられる。一つには中央と地方とは問わず、典型的な郊外の諸要素は共通であるということがあるだろう。

もう一つは、僕の無意識の志向が今の住居の選択に反映されている可能性だ。もう四半世紀前になるが今の家を選んだ時、県内の他の場所に比べて、今の土地が気に入っていたことを覚えている。大通りを中心にした広々とした住宅街。川岸から広がる田畑とながめと大きな神社の存在。

これらに魅かれたわけだから、自覚していなかったとはいえ、自分の中の故郷の「道くさ地図」を手がかりに住む土地を選んでいたことにある。