大井川通信

大井川あたりの事ども

横超忌に『吉本隆明歳時記』を読む

今日で吉本隆明が亡くなって9年がたつ。調べると、吉本の忌日は横超忌というのだそうだ。手元にある一番薄い文庫本を取り出して読んでみる。

久しぶりに吉本の本を読みながら、ああ吉本節だと思いながら、この文体がいっそう遠く感じられた。きちんと理解しようとしても、あいまいな比喩でしか思考の過程やその結論が描かれないので、雰囲気で了解するしか方法がない。

吉本自身がそうなのだから、吉本から影響を受けた世代の文体などは、もっと悲惨なことになる。彼らの多くが議論の場などで、自分の思いを一方的にまくしたてるだけだったのは、この文体の構造が原因だったのかもしれない。稚拙でかっこ悪くてもいいから、自分が確かに分かったことと分からないことととの区別をしっかりつけて書くべきだし、書いていきたいとあらためて思う。

ただこの本は、吉本自身が愛好する詩人についてのエッセイなので、特別な理解と愛情が背景にあるから、吉本のあいまいな比喩が対象と自然に絡まり合って、心地よく読めるところがある。かつて僕も好きだった立原道造の詩についてなど、なるほどそうだと感覚的に思えるところがある。

もう一つ。僕も今の年齢になって、自分自身を遠目に見ることができるようになった。すると、戦中派という特異な世代に育てられたという経験が、くっきりと浮き上がってくる。戦中派をどう理解するか。彼らから何を受け取って、何を伝えるかが、考えるべきテーマに思えてくる。父親と同年生まれの吉本についても、過去の読書経験として捨てておくわけにはいかない。