大井川通信

大井川あたりの事ども

空き地と土管

月に一度の吉田さんとの勉強会。今回で27回目だ。継続は力なり。友人と会うのに規則的な「勉強会」という枠組みが必要であるというのは、発達障害的な僕の気質によるものだが、そういうこだわりによって、怠け者の僕が継続して何かに取り組めるという利点もある。このブログもそうだが。

今回は、子どもの通学路についてのブログを何本かまとめてレジュメを作った。

吉田さんは、別府という地方都市でテレビ好きな子どもとして育った。テレビに映るのは東京の街並みで、子どもたちが遊ぶのはきまって「空き地」でそこには「土管」が置かれていた。別府にはそういう場所はない。だから、それを都会的な風景としてあこがれていたのだという。

東京にはそんな空き地が本当にあったのか、と聞かれて東京郊外出身の僕が答える。

たしかに空き地はところどころにあった。古くからの住宅街には公園は少なかったけれど、それがなくて困らないくらいの空き地があって、そこが子どもの遊び場だったのだ。

現に僕の実家も隣の空き地(原っぱ)をまるで自分の家の庭みたいにして使っていた。幼稚園は道をはさんだ空き地をまるで運動場の一部みたいにして使っていた。野球好きの友人の家の前の空き地に集まってよく野球をしたので、その空き地を友人のあだ名で「ジョーケン球場」と勝手に呼んだりしていた。

ただ、残念ながら、どの空き地にも土管は置かれていなかった。おそらくもう少し都会で立て込んで土地が少なく、しかも土管の埋設工事が盛んだった頃の光景だったのだろうと思う。

ただ、近所の大きな社宅の中の公園には、土管を並べた遊具があって、その中で遊んだ記憶はある。だから、いまでも公園で土管の遊具を見つけると、その中に身体を押し込んで、暗くてひんやりとした感触を確かめたくなる。