大井川通信

大井川あたりの事ども

『子供の世界 子供の造形』 松岡宏明 2017

子どもの造形とその指導をめぐって、具体的に大きな見取り図が示される。その説明はやさしく納得のいくものだが、人間と表現に関する相当に射程の広い認識に届いている感じがする。まちがいなく良書だ。

著者は、まず大人と子どもの対比から議論を始める。その根本は、大人が世界と自分とを「分離」させる存在なのに対して、子どもは世界と「一体化」しているというものだ。このため、大人は視覚に偏り、概念に縛られ、目的・効率・計画に生きるものであるのに対し、子どもは全感覚と体験に開かれており、あるがままの現在の過程を生きることになる。

著者は触れていないが、ここでいう「大人」とは普遍的な実体なのではなく、特別な文化的な圧力によって生じた現象ではないのか。ヨーロッパが出自の近代化によって特に鮮明となったものであって、だから一人の人間の中にも、二つの要素は引き裂かれた形で存在するのではないかと思う。

著者は次に、美術というものが、子どもの本質そのものを自覚的に実践した活動であることを説明する。こうして、子どもの世界と子どもの造形の価値について整理したうえで、ようやく子どもの絵の発達段階やその特質という、この本の専門領域らしい議論へと入っていく。

発達という側面からは、「なぐり描き期」「命名期」「前図式期」「図式期」「前写実期」「写実期」「芸術的復活期」等の段階があり、特徴という側面からは、「頭足人」「アニミズム」「基底線」「集中構図」「レントゲン描法」「展開図描法」「積み上げ遠近法」「多視点構図」「正面構図」等の描き方がある。簡明な説明は、門外漢にもわかりやすく有難い。

ただし、この本が優れているのは、やはり前半の大きな枠組みの提示であり、それを背景に子どもの絵のみならず大人の美術を見ているところだ。だから、クレーやミロ等の有名画家と子どもの絵との比較も説得力があるし、葛飾北斎の版画を子どもたちに鑑賞させるというワークショップの手法や効果も納得できるものとなる。

すぐれた美術家は、大人から子どもへとさかのぼるような歩みをするものだと著者はいう。しかしこれは芸術家に限らず、誰もが「老化」という形で体験するものではないのか。人間とその表現とは何かという大きな問いに答えることで、「老い」への勇気と覚悟さえ与えてくれる一冊になっている。