大井川通信

大井川あたりの事ども

「秋の西行」と「芭蕉のモチーフ」

加藤介春(1885-1946)は地元ゆかりの詩人で、たまたま古書店で見かけた『加藤介春全詩集』(1969)を手に入れた。戦前の詩壇ではそれなりの注目を受け、博多では新聞社で夢野久作の上司だったりもしたらしい。没後かなり経ってからの出版で、実際には代表作などを集めた拾遺詩集である。今はほとんど読まれることはない詩人だろう。

ざっと目を通してみて、やはり時代の壁を突き抜けて、こちら側に響いてくる言葉の力には不足している印象がある。言葉の選択が安易だったり、平凡な思想を語っていると思えてしまうものが多い。

ただ、一部には、すごみが感じされる詩や、ユニークで独特な感覚に満ちた詩もあって、そのギャップに不思議さを感じる。なんでこんな詩を書ける人が、あんな詩を書いてしまうのだろうと。ただ、それはあくまで時代を隔てた現在の僕という個人からの読みと評価だ。

良いものを選ぶとどうしても長くなるので、気に入った小品を引用してみる。

 

西行がふと「晩秋」の中から出て来た/その後には影がなかつた

西行はもう長い間、秋を歩いた/そして秋そのものとなつてしまふたー。

うすぐらい西行の背に乗つかゝてゐる/一枚の落葉がその印だらう。

影のない西行は/空や木や水にすら映らなかつた。

さうした「有」は「無」よりも幽かだ/そして遥かだ。

西行はもう何所にも行かず/やがてそのまゝ消え失せてしまふた。

(「秋の西行」)

 

 ところで、村野四郎(1901-1975)にも同じく、歴史上の詩人を題材にした詩があったのを思い出した。

 

からだは すっかり冷えていた/犬の骨などにつまずくと/夕暮れの孤独は/いっそう蒼白になった/たどり着いた村の入口には/痩せた牝牛が番をしていた/家々には 誰もいる気配がなく/有刺鉄線がはりめぐらされ/村は とうに/何かに占領されていた

(「芭蕉のモチーフ」)

 

ただこうして比較してみると、無駄のない言葉の緊密さや、緊張感のあるイメージの魅力などで、村野の詩がはるかに勝っている印象なのは否めない。