大井川通信

大井川あたりの事ども

勉強会とフィールドワーク(大井川歩きの方法論)

今月の勉強会のレジュメは、いつものようにこの一か月で書いたブログの記事から3つをピックアップして、A4二枚にまとめる。4月10日の「大井で『武蔵野』を読む」、4月19日の「幼児の記憶」、4月21日の「我が家の屋敷神」の三本の記事を選んだ。

手前みそだが、これは実に能率のよい勉強会のシステムだ。このシステムを作る以前は、毎月の勉強会でテーマを決めてレジュメを作るのは一苦労だった。このため、忙しくなると月例の開催は難しくなる。

ところが、毎日、何らかのテーマでブログを書くと、一か月で30本の記事が出来上がる。すると、その中の一割の3本くらいは、再読・検討に値するものになっているし、記事の選択によっては、そこに新たな問題を浮かび上がらせることもできる。

この編集作業は、ほとんど手間がかからないうえに、書き散らしたブログの振り返りにもなって、けっこう楽しい。毎日の地道な作業が背景にあるから、レジュメの出来も悪くないはずだ。

吉田さんは、僕の「大井川歩き」に強い関心をもっているし、僕も吉田さんの映画や文化全般についての独特のアプローチに関心がある。今回選んだ記事「幼児の記憶」は吉田の年来の疑問への回答だし、吉田さんも自身の今月の報告では、前回の僕のレジュメ「道草地図の比較」に刺激を受けたという実践について話してくれた。

当日の議論だけではなく、前回までの議論が継続して俎上にのり、かみ合った言葉のやりとりができるのだ。本当に稀有の相手であり議論の場所であると思う。

レジュメの後の二つの記事は、大井川歩き関連だが、僕はあまり深く考えずに選択していた。しかし、吉田さんの指摘で、僕の大井川歩きにおける典型的な二つの方法論の実践であることに気づかされた。

一つは、外から異質の物語(今回でいえば独歩の小説)をぶつけることで、この土地の物語を活性化させるという方法。もう一つは、この土地の先人たちのしぐさ(今回でいえばホコラの建立と信仰)をなぞることで、この土地の物語を内側から生き直すという方法。特に、半ば冗談のようなヒラトモ様の勧請が、後者の実践であるという自覚はまったくなかった。

勉強会が盛り上がり、急きょ、翌日、大井の隣村の守り神クロスミ様を参拝する提案をする。先日好さんやアツコさんをガイドしたコースだ。

翌朝は、途中雨に降りこまれたりするあいにくの天候だったが、無事にフィールドワークを実施できた。あらためて、真新しく整備された案内看板や参道の様子に、大井から里山一つ奥にある集落の信仰の強さと、村の聖地によそ者を招き入れる神観念の不思議さに思いをいたした。