大井川通信

大井川あたりの事ども

石鎚山に登る

「ひさの」の好さんが、裏山の山道の整備をして、山頂に鎮座する石鎚神社までお参りできるようにしたという。先日、クロスミ様に案内したとき、用山の人たちが山道を整備して、今でも自分たちの神様の世話をしている姿に刺激を受けたらしい。お父さんたちの助力も得たそうだ。

それで、アツコさんと僕が好さんに案内してもらい石鎚山に参拝することになった。好さんの祖父は町会議員をした村の名士で、「ひさの」はそのお祖父さんの家を老人ホームに改装している。家の裏は、すぐに村の鎮守に通じていて、お参りすると、拝殿には、村人が講を組んで伊勢神宮へ参宮した記念に奉納した大きな絵馬が何枚も飾られている。このあたりの神社ではよく見かけるものだ。

神社の境内から山に入れるようになっていて、峰伝いに緩やかに上っていく山道は気持ちがいい。ところどころ、木や竹が伐採されて、道案内の赤いテープが貼られている。アツコさんがクリの木を見つけるたびに喜んでいる。僕も実家の隣の原っぱがクリ林だったから、クリならば木肌で見分けることができる。

山道は石鎚神社の鳥居まで続いていて、そこからは管理の行き届いた急な石段が続く。石鎚神社は、有名な四国の本社から明治になって村人が勧請したものらしい。それ以前はミロク信仰により、山全体もミロク山と呼ばれていたそうだ。現在も神社の社の隣には、ミロク様の古い石の祠があり、十三仏役行者弘法大師の石仏が並んでいる。

麓には立派な村の鎮守の神様がいるのに、里山の頂上に、江戸時代には当時流行のミロク様を招き入れ、明治に入ると同じ山に有名な霊山から神様を呼び寄せる。それらが排除しあうことなく共存し、今に至っている。

こうした神様の雑居状態は、近隣の大井でも用山でもいっしょだが、どこか村同士で自分たちの神様を「張り合う」要素もあったのではないか。今回も用山のクロスミ様を参拝した好さんが、自分の地元の神様の参詣の道を整備したということの内に、かつての村人の心意気を感じることができた気がする。

 山を下りてから、今度は僕が多礼の滝を案内する。そのあたりだけ大きな岩が露出している地形で、岩肌を伝う小さな滝だが、ひんやりとして雰囲気がいい。好さんも知らない場所で喜んでもらえた。