大井川通信

大井川あたりの事ども

独歩の『置土産』を読む

国木田独歩(1871-1907)の『置土産』(1900)は、名作『武蔵野』で「社会というものの縮図」を見ることができると指摘された「郊外」を舞台にした短編小説である。

舞台は小さな田舎町の町はずれにある茶店だ。三角餅という名物を売って繁盛している茶店の主人幸衛門は、塩への投資に熱心で店の利益をつぎ込んでしまう。店は女房と、親戚の若い娘お絹お常の二人とで切り盛りしている。

常連の一人の吉次は、油の小売りを商売にしている身寄りのない若者だが、お絹とはお互いに思い合っている。吉次は、日清戦争に軍夫(運搬役の民間人)として出征し、一儲けして店を出そうと決意し、誰にも相談できずに八幡宮に願をかけ、毎日早朝お参りをする娘二人への置土産の櫛をおいて旅立つ。

翌年、戦地で吉次に世話になったという人が茶店を訪ね、吉次から預かった二百円のお金を幸衛門に渡す。半分はお絹にやり、もう半分は自分の親兄弟の墓の修復と世話を頼みたいというのが、病死した吉次の遺言だった。悲しむお絹は、お金は吉次の弔いのために使ってほしいという。

幸衛門が受け取ったのは、今でいえば数百万円という金額だろう。吉次からお金を預かった人が約束どおり幸衛門に渡し、幸衛門がその半分をお絹に渡し、お絹がそれを吉次のために使おうとしたという経緯には、特別な力が働いていると考えられる。誰もその大金を自分のものにしようとしないのだ。受けた「恩」に関しては必ずその「お返し」をするというルールが貫かれている。

この人間同士で持て余した「恩」が、最終的に送り込まれる先が「神仏」というブラックホールということになる。吉次の二百円も、結局のところ吉次を弔い、その家族の墓のある寺の収入になるのだ。

吉次は出征前に八幡様に願掛けをしていたし、お絹お常も毎朝の参拝を日課にしている。恩と返礼とで織りなす旧来の人間関係の軸になって、しっかりそれを安定させているのが、神仏の超越的な力なのだ。

しかし、幸衛門は塩の相場に手を出して大儲けをねらい、吉次も日清戦争の軍夫での儲けのために自分の身を危険にさらしている。ここでは利益を上げるということが至上命題である新しい個人のふるまいが描かれている。このことで幸衛門は蓄えをなくすくらいだが、吉次は自らの命を失ってしまう。

恩のお返しと一攫千金。郊外の茶店を舞台に、新旧の人間関係の力が交錯する様を描く小品である。