大井川通信

大井川あたりの事ども

追悼 田村正和

田村正和が4月3日に亡くなったそうだ。田村正和については、僕には、佐野元春Band-Maidや「魔法少女まどかマギカ」についてよりも、いっそう書きにくい気がする。とはいえ、書いておきたいという思いも強い。しかし、何を書くのか。

やはりテレビの中の人物についてなら、ナンシー関(1962-2002)だろう、ということで、彼女の本の山をひっくり返して、読んだ記憶にある二つの消しゴム版画付きエッセイを見つけだすことができた。

辛口で知られるナンシー関だが、田村正和については好感をもっている。テレビ画面を徹底的に注視し味わいつくすナンシーにとって、その中で魅力ある謎の記号として一貫した存在感を示す田村正和を評価しないわけはなかったのだ。

90年代の前半に書かれたエッセイで、ナンシーは「田村正和三期説」を唱えている。第一期は、スカした二枚目でファンとは公言しにくかった時期。第二期は、二枚目半のみを演じて世間に受け入れられた時期。そして第三期は、再び人間味をかなぐり捨て二枚目に戻った時期。ナンシーが評価するのは、キャラクターに徹する「潔さ」や「ストイシズム」である。

このエッセイには90年代後半の書籍化の時の注釈がついていて、面白いオチになっている。田村はこのあと二枚目とか二枚目半とかいう次元を超えた「古畑任三郎期」に入ってしまい、「黙って見守る」のみであると。

僕はナンシーの慧眼はその予言力によって示されると思っているが、今でこそ、田村がセリフをすべて頭に入れてNGを出さないストイックな役者であることは知られるようになったが、そんな情報もない20年以上前に、田村正和の本質を見抜いていたのはやはりさすがだ。

60年代の高度成長期に映画俳優としてデビューするも斜陽化する映画からテレビに軸足を移し、70年代にシリアスなテレビドラマの世界で成功し(第一期)、80年代のポストモダンの時代にはポップな路線に転じて持てはやされ(第二期)、バブルの絶頂と崩壊の時代に二枚目を演じ(第三期)、失われた20年の時代にはひと際異彩を放つキャラを確立する(古畑任三郎期)。時代の求める記号に徹した人間田村正和の冥福を祈りたい。