大井川通信

大井川あたりの事ども

新型コロナウィルスに感染する ⑤(倦怠感の脅威)

ホテルには、時間つぶしにと思って、何冊かの本を持って行った。とくに今読み続けている今村仁司先生の遺著である『社会性の哲学』は、晩年に先生が自らの死と向き合って人間存在の根本を論じた本だから、コロナ禍の監禁生活の中で読み通すのがふさわしい本に思えた。その他、久生十蘭の娯楽小説や、ベストセラーの『人新世の「資本論」』や『まちづくり幻想』など。どんな気分にも対応できる選書のつもりだった。

ところが、一週間のホテル生活で一頁も読めなかったのだ。最初の二日は微熱が出たくらいだし、その後も38度を超えるような高熱がずっと続いたわけではない。ただし3日目からは、健康観察票に「身体の節々の痛み」「だるくて熱っぽい」「倦怠感あり」「ご飯食べられない」「一日つらい状態」という言葉がならぶ。6日目以降は、全くの無記入だ。

読むこともそうだが、書くことへの気力も無くなっているのに気づく。ブログ記事の一日分も書けない。感染と発症の経緯について簡単なメモをつくるのが精いっぱいだ。そのあと、長男に向けた遺言のようなもの(僕の持ち物の処分の希望や家族の中での人間関係のことなど)をやっとの思いで手帳の余白数ページに書いて、目立つように付せんをはる。書き終わって、少しほっとした。

この時の心境が、今となってはよくわからない。体調が悪化しても死を意識するほどではなかったはずだ。高熱がでるのは身体がコロナと戦っているからという妻の情報を信じて、できるだけ薬を飲まないようにしていたし、そうすれば発症から10日で家に帰れるものと思っていた。

しかし、いままでに経験したことのない強い倦怠感に、僕自身の身体が相当な危機と脅威を感じとっていたのかもしれない。読むことと書くこととともに、音楽を聴いたり映像を見たりする関心も消え失せている。人として文化的な営みが身ぐるみ引きはがされて、外界への通路を失った弱い身体が、ひたすら苦痛に責めさいなまれる。

結果的にはこの無意識のレベルの危機感が事態を正確にとらえていたことになる。